2013.12.12

国家秘密法について

2年前にボクが書いた連載コラム(月刊『ガバナンス』20121月号、ぎょうせい)です。当時の民主党政権の下で、秘密保護法制の検討が行われていました。そして、その問題点は今回成立した法律にも引き継がれています。こうした経緯を振り返ると、民主党を反対の立場とみるのは、ちょいと違う。そして、メディアや弁護士会等だけでなく自分自身を含めて、反対する立場は何もできないまま今日に至ったことを、猛省しなければなりません。

秘密保護法制

 このほど国は秘密保全法制を整備し、12年の通常国会に法案を提出する意向を固めた。かつて、自民党の中曽根内閣が「国家秘密法案」を提出したことがある。しかし、世論やメディアの強い反対のため廃案になり、以降は同様の法案は提出されていない。自民党から民主党への政権交代を果たしたにもかかわらず、「国家秘密法案」と同様の危険がある法案を、今なぜ提出するのか。一方、情報公開法改正案は継続審議のままであり、「知る権利」の行方に暗雲が立ち込めている。 

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2011.11.04

商店街からつながる

 NPO「参加型システム研究所」にニュースレターに書いた文章です。

 東日本大震災の被災地、被災者を支援する取り組みは実に多彩だ。神奈川県内では商店街を基盤とした支援活動が始まっている。中でもユニークなのが、鎌倉市大船の商店会が連携した「岩手県復興支援イベント Ohfuna to Ohfunato~大船から大船渡市へ~」(以下、「Ohfuna to Ohfunato」)である。
 このイベントは716日に開催された。主催したのはOhfuna to Ohfunato実行委員会である。大船駅前商店会・大船仲通り商店会・湘南一番商店会・大船の企業・有志一同が、実行委員会のメンバーだ。 大船と岩手県大船渡市。「大船」という同じ地名を一つの縁として、「Ohfuna to Ohfunato」を合い言葉に、イベントを通じて被災地を復興支援するのが開催趣旨だ。
 当日は、大船駅東口の芸術館通り140mを歩行者天国にして、カモメの玉子・南部せんべい・北上コロッケ等の物産展、復興支援募金、路上コンサート、模擬店など多彩な行事が行われた。大船観音や玉縄桜が描かれた特製Tシャツ(2000円)も作成、販売された。「Ohfuna to Ohfunato」で集められた2,081,111円の寄付は、812日、鎌倉市長らの手によって大船渡市長に届けられた。
 このイベントがユニークなのは、「大船」という言葉を「縁」として、地域と地域、人と人をつなごうとした点だ。東日本大震災の発生から時間がたつほどに、被災地の「外」にいる私たちは、被災による痛みや苦しみ、そして、被災の事実すらも忘れがちになる。しかし、そのように被災地や被災者が「忘れられる」ことは、もう一つの悲劇に他ならない。
 
これを防ぐのは「縁」である。血縁、地縁…いろいろな「縁」があるが、「Ohfuna to Ohfunato」は言葉で新たな「縁」をつくった。そして、大船で暮らし、働くかぎり、一字違いの被災地・大船渡市のことを忘れることはないだろう。そして、地域住民の力で必要な支援を継続していくに違いない。言葉には、地域と地域、人と人とをつなぐ不思議な力が宿っている。
 
Ohfuna to Ohfunato」実行委員会副委員長の鈴木健介氏は、「復興の長期化は避けられず、10年間は支援していきたい。将来は鎌倉と大船渡の心の絆を育むイベントになれば」と、このイベントにかける意気込みを話している(読売新聞201176日)。そして、イベント終了後も、さまざまな機会を通じて両者の「縁」を深めている。924日には、大船渡の人たちが大船を訪れ、「さんまパーティー」を開催したという。
 
商店街を舞台にした被災地、被災者支援は他の地域でも行われている。たとえば、「みやまえスマイル×スマイルフェア―地産地消で被災地支援を」(以下、「みやまえスマイルフェア」)である。これは川崎市宮前区内の約30の飲食店が参加したイベントで、東急田園都市線鷺沼駅前の商店街を中心として、この10月に開催された。
 
「地産地消で被災地支援を」というサブタイトルにもあるように、「みやまえスマイルフェア」の第一の目的は地産地消である。フェアに参加した飲食店は、川崎市宮前区内でとれた農産物を使ったメニューをつくる。その売り上げの一部を被災地支援にあてるのが、第二の目的である。もちろん、各店舗には募金箱を置き、被災地支援のための寄付を募る。京都地域創造基金が行ってきた「カンパイ・チャリティ」の神奈川版ともいえる試みである。
 
大船が大船渡とつながったように、「みやまえスマイルフフェア」は宮城県とつながった。こちらは「宮城」と「宮前」、「宮」つながりである。寄付は宮城県が7月に設置した「東日本大震災みやぎこども基金」に集約した。これは、大津波等で親を亡くした子どもたちの生活や学業を応援するためのものだ。子どもの数が多いという同区の特性を考慮して、寄付の相手方を決めた。
 
101日には、フェアのキックオフイベントが鷺沼駅前で開催された。地場産の野菜とともに、宮城県気仙沼市の日本酒「負げねぇぞ気仙沼」が販売された。震災で店舗が全壊し、祖父母は死亡、父は行方不明になる中で、母と兄弟で再開した老舗酒屋「すがとよ酒店」オリジナルラベルの日本酒である。その売り上げの20%も「みやぎこども育英基金」に寄付された。
 地域で買い物や食事をすることで、地域の農業者や事業者を支えていく。そして、それが被災地にも寄付という形で還元されていく。そんな好循環が各地に広がることを願っている。

2011.10.30

寄付で縁をつくる

 NPO「ぐらす・かわさき」にニュースレターに書いた文章です。

 きたる116日、ぐらす・かわさきの設立10周年を記念した講演会を開催します。講師は『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)などのベストセラーもある島田裕巳さんです。講演のタイトルは「さよなら無縁社会―寄付で縁をつくる」としました。「円」ではなく「縁」です。そして、そこがとても大切なのです。
 10年前、ぐらすレターの創刊号だったと思います。立ち上げたばかりのぐらす・かわさきのキーワード「つながる」について、簡単な文章を書いた記憶があります。設立者の一人として、地域社会で暮らし、働く人が、ぐらす・かわさきという場を通じて出会い、さまざまな形でつながっていけるといいなあとの思いがありました。
 あれから10年、果たして、私たちは設立時の思いを実現することができたのでしょうか。行政からの受託事業などの資金獲得に追われ、ややもすると「縁」よりも「円」を重視することが少なくなかったかも…と、最近、激しく自省しています。
 中間支援組織としてさまざまな「縁」を生み出していくため、スタッフの人件費など「円」を獲得することは必要不可欠です。しかし、「円」は手段であって目的ではありません。目的は地域社会に多様な「縁」を生み出すことなのです。記念講演会のタイトルには、「人と人とをつなぐ」というぐらす・かわさきの原点を、もう一度見つめ直したいという意味を込めました。
 もちろん、ぐらす・かわさきの10年の活動が「縁」を生み出してこなかったわけではありません。「遊友ひろば」という場所を通じて、ぐらす・かわさきがなければ出会えなかった人が出会い、つながってきました。他の事業やイベントを通じても、地域社会の中にそれなりの「縁」を生み出してきたとの自負もあります。そうした多様な「つながり」は、この10年間の貴重な財産です。
 この「縁」を生み出したのが原田さんの寄付でした。「寄付で縁をつくる」というのは単なる願望ではなく、他でもないぐらす・かわさきが実際に経験してきた物語です。そして、いま、同じような物語をもっとたくさん生み出したいと考えています。それが「市民ファンド」の創設です。
 「市民ファンド」とは怪しげな投資話ではありません。すごくまじめな理想をもっています。「新しい価値の創造や社会的課題の解決のために、市民が主体的に設置・運営し、市民からの寄付を中心に、市民の活動に助成する民間の仕組み」、それが市民ファンドです。これは、ぐらす・かわさきもメンバーに入っている市民ファンド連絡会による定義です。
 この定義にきっぱりと表現されていることは、行政からの補助や受託に依存するのではなく、市民が主体になって資金を確保、運営していくという気概です。これを非現実的な強がりだと笑う人もいるでしょう。でも、自分の周囲を見渡すと、寄付で「縁」をつくり、「縁」を通じて様々な問題解決を成し遂げた市民活動の例は少なくありません。
 高い理想と気概をもって、これからの10年を歩んでいきましょう!

2011.08.26

「つながる」って?

 ボクが理事をつとめるNPO「ぐらす・かわさき」が設立10周年を迎えます。記念リーフレットをつくるため、過去のニュースレターを整理していたらボクが書いたことが出てきたので、そのまま載せてしまいます。いま読み返すと、ちょっと恥ずかしい文章もあるのですが、いまさら「歴史」をねつ造しても始まらないし…
 以下の文章は2001年6月発行の「ぐらすレター」からの引用です。10年も前の文章だけど、自分のこだわりはあまり変わってないかも…です。

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 ぐらす・かわさきのキーワードの一つに「つながる」がある。わざわざそんなことを掲げなければならなくなったのは、いまの社会に生きる私たちがつながっていないからである。

☆ホンネはつながりたい
 混雑した電車の中で足を投げ出し座る人、きれいに掃除した車の中から道路にゴミを投げ捨てる人など、ジコヂュー(自己中心的)と呼ばれるような、つながっていないことを示す例や事件をあげたらキリがない。その一方で、携帯電話に食い入るまなざしをまちのあちこちでみかけるが、その姿はもっともっとつながりたいと叫んでいるようでもある。

☆それを阻むのは誰?
 あえて粗雑な犯人探しをするならば、私たちがつながれなくなったのは「近代」のせいだ。「近代」の一つの特色に要素還元主義というものがある。それによれば、人間の一つの要素(機能)だけが取り出され、評価される。女と男、高齢者と若者、健常習と障害者、日本人と外国人などなど、ある特定の機能の有無や「優劣」だけで評価することを「近代」は人々に強いてきた。

☆近代がジコチューを生みだした
 受験、出世、マネーなどの競争(ゲーム)にはまり込む人のように、自らの機能強化だけをひたすら求め、存在の全体性や他者との関係性を無用なものとして捨てていく。個人がそれぞれの機能に応じてパラバラになって暮らすジコチュー社会は、まさに「近代」の完成形態といえよう。ところが、いくら自分を磨き機能を強化しても(「自分探し」。をしても)、ちっとも「しあわせ」になれない…。

☆まじりあい、関係性の回復を
 「つながる」という言葉はそんな社会を背景に注目されるようになった。こう考えるならば「つながる」とは「近代」が切り捨ててきた存在の全体性や他者との関係性を回復していく営みといえよう。各人の機能や要素とは無関係に「ありのままの私」がさらけ出され、他者がそれを受け容れ・拒絶しつつも、とにかくまじりあって暮らしていくことが「つながる」ことである。

☆身近な一歩から広がる可能性
 こう書くと何かたいへんそうだが、いろいろな人が集って飲んで食べておしゃべりをする
ことも「つながる」つまり「近代」の超克である。それを身近で小さな単位から試みることを、ぐらす・かわさきで実践していきたい。

2011.03.18

私たちに何ができるか?

大震災や原発事故の被害の大きさに言葉を失いました。しかし、この圧倒的な現実におそれおののき力を落とすのではなく、一人一人ができることから始めてみましょう!がんばらなければならないのは、被災していない私たちなのです。
ということで、ボクが理事をつとめる「ぐらす・かわさき」を通じて、以下の緊急要請をまとめまて川崎市に提出しました。被災地の誰もがたいへんなのだけど、まずは子どもを助けたいという思いで一気に書きました。だから、内容や表現に難があるかもしれませんが…
認めたくはないけれど、被災者の避難生活は長期化するはずです。今は緊急支援の段階ですが、いずれ中長期的な支援を考え実行しなければならない段階に移るはずです。そのとき運よく被災を免れた地域にできることの一つとして、宿泊可能な公共施設への一時避難とそこでの生活・学習支援を提案したものです。
川崎市だけでなく全国各地でも取り組んでくれると良いのですが…

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2010318

       「東日本大震災」被災者支援のための緊急要請

川崎市長  阿部孝夫  様

川崎市教育委員会委員長  佐々木武志 様

                        特定非営利活動法人 ぐらす・かわさき
         
                     川崎市多摩区登戸2258 ハウス911
               
                 TEL 044-922-4917 FAX 044-922-4919


「東日本大震災」発生から一週間がたちました。
被災地の皆さまには心からお見舞い申し上げます。
同時に、長期化が予想される被災者の生活支援のために、私たち川崎市民ができることを考え、直ちに取り組みたいと考えています。
とりわけ、家や学校を失った子どもたちの未来を考えると心配です。そこで、以下の提案をさせていただきます。各施設にはそれぞれの利用計画・予定があるとは思いますが、未曾有の大災害であることを考え、ご配慮いただきたいと思います。
支援すべき地域や世代は多々あると思いますが、被災地域の子どもたちの生活支援は、全国で初めて子どもの権利条例を制定し、前文に「子どもの最善の利益の確保」を掲げた川崎市の責務ともいえます。
私たちにできることはわずかなことかもしれませんが、とにかくできることから取り組まなければならないと考えます。直ちに検討・実行してくださることを切に要請します。
               

1.津波で家や学校を失った子どもたちを対象に、「黒川青少年野外活動センター」、「川崎市青年の家」等の宿泊可能な市の施設を提供して生活支援をすること

2.上記の宿泊施設で生活する被災児童・生徒を対象に、市の小学校、中学校、高校による学習支援をすること

3.上記の生活支援及び学習支援を行うため、市民や企業の参加・協力を広く募ること

2009.02.05

共感的態度

 ボクが理事をつとめるNPOぐらす・かわさきのニュースレターに書いたコラムです。人が人を評価することの危うさと悩ましさを取り上げました。どうすれば共感的な態度を身につけることができるのか?自己に対する内省の文章でもあります。ちょっと長いけど読んでみてください。

 川崎市多摩区は「磨けば光る多摩事業」という市民提案型の協働事業を実施しています。今年度の事業額は約200万円です。額は少ないものの、市民の日常的な気づきを活かした公共サービスを生み出す点で意味の大きな事業です。今年度はぐらす・かわさきを含めた7団体が事業を提案し、このうち4団体の事業が選考されました。この提案事業を評価・選考するのが「審査会」です。なお、ぐらす・かわさきは、これまで2度応募しましたが、いずれの提案事業も落選しています。
 だからというわけではありませんが、この選考過程に関する記録を情報公開条例に基づいて公開請求してみました。その結果、「審査会」の会議録、採点表など、「磨けば光る多摩事業」に関するたくさんの文書が昨年秋に公開されました。全国各地で同様の協働事業が広がっていますが、事業の透明性と公正性に疑問のある例も少なくありません。市民と行政との協働が新たな癒着やミニ利権のようなものを生み出しては、せっかくの「芽」をつぶしてしまいます。情報公開を求めたのは、そんな問題意識からです。
 情報はめでたく公開されました。しかし、公開された会議録を読み進めていくうちに、私は少し暗く重い気分になりました。それは、提案事業に対する「審査会」委員の発言の中に、すごく「いやな感じ」の言葉が散見されたからです。
 たとえば、今年度の会議録では、選外となった提案事業について「狙いはよいと思うが、ラフな計画」、「人件費や報償費、募集方法等も具体性が見えない」、「思いつき的でちょっと計画性が甘い」など、委員の辛らつな評価が並んでいます。「審査会」委員は学識経験者だけでなく住民代表もいます。同じように地域で暮らし、働く「仲間」であるはずの人たちの、上から下を見下すような視線。それが、「いやな感じ」の理由なのかもしれません。
 評価・選考に先立ち、提案団体は「審査会」で事業の目的や内容を説明します。提案事業に難点があるならば、その場で指摘して、それをどのように改善していくのかをたずねることもできたはずです。玉と石とを選り分けるのではなく、そのように石を磨くのが事業の目的だったはずです。
 必要に応じて「補い助ける」ことこそ「仲間」としての役割・使命です。ところが、官尊民卑が根強い日本社会では、役所にかかわる地位や肩書きを得ると偉くなった気分になり、ヨコではなくタテの関係で物事を考え、話す人がいます。「仲間」に対する共感が弱くなるのは、そんな風土の名残りといえます。
 以上は自戒の言葉でもあります。私は横浜市指定管理者制度委員会の委員として、第三者評価機関の選考に関わっています。また、ぐらす・かわさきでは「ぐらす基金」の応募事業の選考を担当してきました。また、予備校講師をなりわいとしていて、他者に対する評価を日常業務としています。「上から目線」にならぬよう気をつけているつもりですが、同じ人間そして「仲間」として相手に共感し、それぞれの考えや行動を尊重しているかを自問し続けなければ…と痛感しています。

2008.07.12

市民活動団体への助成

 今日の午後は、市民活動団体に対する助成金の公開選考会がありました。ボクが理事をつとめるNPO「ぐらす・かわさき」の「ぐらすサポート基金」という助成事業です。1団体の上限10万円で5団体を募集したところ、なんと17団体も集まりました。ボクは選考委員会のメンバーとして、各団体のプレゼンを聞き、質問をし、採点をする役割です。
 と一口に言っても、実際にはなかなかタイヘンです。各団体が助成を受けたい事業の目的、内容、方法等を5分程度でプレゼンテーションをします。そして選考委員が分担して3分以内で質問をし、社会性、地域性、参加性、実現性の四つの観点から即座に採点するのです。それが17団体も延々と続くのです。応募団体の皆さんは表現方法も工夫して一生懸命にプレゼンするので、選考委員は一瞬たりとも気が抜けません。ほんとに疲れ果ててヘトヘトになりました。
 しかし、これは心地よい疲れでもありました。市民活動とは自分の思い(問題意識)を社会・世界につなげていく営みです。まさに社会科学系の演習テストで取り上げた「公民」が担う活動です。かつて柳田國男は日本人は「公民たりえていない」と嘆きましたが、川崎という小さな地域でもこんなにたくさんの「公民」に出会えたことが、ボクにとっては心地よかったのでしょう。最終的には以下の5団体を選考し、助成金の支出を決めましたが、予算が許せばすべての団体を助成したかった・・・。

 ○多摩応急手当普及会:AEDトレーナーの購入と救急講習会での活用
 
 ○NPO法人サイレント・サポート:精神障がい者への理解を進める学習会の開催
 
 ○のぼりとゆうえん隊:大学生の参加による「まち受信マップ」の作成
 
 ○世界のひろば:地域の外国人と交流する多文化カフェの開設
 
 ○若年性認知症グループどんどん:若年性認知症と向き合うための冊子の発行
 
 以上の事業費(今年度)はしめて50万円。それだけでも、いろいろなことができるんだなあ・・・と、お金を自分のこと以外にも使うことの面白さ(無限の可能性)を改めて実感しました。「ぐらすサポート資金」もまもなく枯渇します。「自分のためのお金」でなく、ましてや「お金のためのお金」ではなく、「他者や社会のためのお金」の流れをもっと大きくしたいものです。

2008.02.01

ギョーザ騒動

 ひたすらしゃべりまくっていた「地獄の三日間」から無事生還したら、世の中は例のギョーザの件でたいへんなことになっていました。おりしも栃木での講演の帰りに、宇都宮駅で冷凍ギョーザを買ってきていたので、ちょっとびっくりしました。しかし、宇都宮の老舗「みんみん」のギョーザなので大丈夫です。明日あたり家族で食べようと思ってます。ギョーザに罪はありません。がんばれっ!宇都宮ギョーザ・・・という感じです。
 今回の騒動にも、授業で話した「体感不安」による過剰反応がみえます。
 少なくとも現段階では、一番重要な毒物混入の経過が何もわかっていません。中国の製造工程で混入したのか、日本を含む流通過程で何者かに入れられたのか不明です。また、全国に600名超もいるという、中国製の冷凍ギョーザを食べたあとに具合が悪くなった人たちが、本当に毒物にやられたかどうかはわかりません。
 不安の根拠となる事実が明らかになっていないのですから、これは「体感不安」です。ところが、世の中は「中国製の冷凍ギョーザを食べた人が、全国各地で具合が悪くなっている」というイメージであふれています。そして、この中国企業の冷凍食品を中心に商品の回収を始めた業者、中国発の食品はすべて危険と考えて購入店に返品する消費者など、社会の反応は激化しています。過剰反応が当該の中国企業→中国製・中国産の食品→ギョーザや輸入食品へと、風評被害を拡大させないことを祈るばかりです。
 こうした体感不安と過剰反応を結果としてあおっているのは、やはりテレビです。むしろ、事態の冷静な認識とそれに基づく落ち着いた行動を求めることが本来の役割だと思うのですが・・・「何だが不自然な事件だなあ」というのがボクの第一印象で、毒物混入は偶然ではなく、そこに何らかの「意図」があるように感じています。ただ、それこそボクの体感なので、事実が判明するまでは安易な論評を避け、事態を注視することにします。
 ということなので、皆さんも「疑わしきは論ぜず」と冷静な姿勢でいましょう。今回の騒動を具体例として使おうなんて考えない方が良いです。
 受験生は「万が一」をおそれるだろうから、やはり受験が終わるまでギョーザは食べないのでしょうね?皆さんのかわり、ボクがたくさん食べることにします。ただし、毒物ではなく、食べ過ぎて具合が悪くならないよう気をつけます。

2008.01.14

「論」の氾濫

 先日、会議で同席した研究者が言っていたのが、現代社会における「論」の氾濫です。事実に基づき、筋道を立てて、自分の意見を述べるのが本来の論です。ところが、その基礎となる事実抜きに、感じたことを脈絡なく連ねるカギカッコつきの「論」が、世の中にはあふれています。これでは、小論文の答案でも失格です。
 ボクが専門としてきた情報公開制度は、論の基礎となる事実に関する行政情報を入手する道具の一つです。この制度を活用して事実を明らかにし、官官接待、塩漬け用地(土地開発公社の長期未利用地)をはじめとする論を興しててきました。そうした経験からも、「論」の氾濫という彼の問題提起に共感しました。
 そんなおり、昨日の朝日新聞の「耕論」というコーナーに、違う角度から「論」を論じる対談「今、論じるとは」が掲載されていました。音楽評論家の渋谷陽一さんと作家の高橋源一郎の対談ですが、その中で「リアル」というキーワードが取り上げられています。わざわざ取り寄せて読まなくても構いませんが、手近なところにあったら読んでみてください。
 この対談では「リアル」が「わかりやすさ」(実感?)に転化してしまっているのですが、氾濫する「論」には、他の面でもリアルさが欠けているのでは?というのがボクの感想です。ボクのいうリアルとは、「論」がもたらす現実への想像力ともいえます。
 ほんの一例として、人気者の知事が「徴兵制賛成」の発言をしたことを取り上げましょう。これに対して、兵にとられる若い世代から何の反発も出ない点に、リアルの欠落が象徴されています。誰が兵にとられ、その結果どうなっていくのか、そして自分はそれを望んでいるのか・・・と考えていけば、発言は彼らしいシャレと笑っていられないはずです。「論」を受ける側だけでなく、おそらく送る側もリアルさを欠き、それが「論」の軽さを生みだしています。
 上記の対談の終盤は、「プロ」の役割が論点です。リアルに結びつける想像力を発揮し、それをわかりやすく伝えていくことは、誰にでも簡単にできることではありません。小論文で苦闘している受験生ならば、わかりますよね。誰もがブログを使うことはできるかもしれませんが、それが直ちに、かつ自動的に「プロ」を生み出すわけではありません。問題は、論じることができる「プロ」が少なくなっていることです。「論」の氾濫は、それを象徴しています。
 予備校での小論文の授業は若い世代の「はじめの一歩」ですが、近いうちに、いろいろな世代の「プロ」を養成していく取り組みを始めようかな?などど、また余計な仕事を増やすことを考えています。

2007.12.28

『暴走老人』を読む

 例によって詳細は企業秘密ですが、駿台・冬期講習で現代若者論をテーマに出題しました。そのときに解説したのですが、理念・根拠なき保守化(2007年)、問う能力の欠落(2006年)など、慶大法の出題の背後には現代の若者に対する眼差しを感じ取ることができます。時代をさかのぼれば、グライダー人間とモラトリアム人間(1987年)があり、「今の若い奴は・・・」という視点での出題は歴史もあり、出題例も多いのです。
 こうした出題では若者に対する否定的な見方が一般的です。しかし、出題者はこの見方を強制しているのではなく、むしろ跳ね返すバネ(メディアリテラシー=与えられた情報を疑う力)を期待している節もあります。確かに「今の若い奴は・・・」と言われて、安易にうなずいたり、自己嫌悪に陥る若者だけだったら気味が悪いし、明るい未来も期待できません。
 跳ね返すときの一つの素材となりえるのが、タイトルの『暴走老人』という著書です。芥川賞作家の藤原智美さんの著作です。ボクも先日ようやく手に入れて、いま読み始めています。数時間で読める内容ですが、読むよりも書く仕事を大量に残しているため、時間がなく読み終わっていません。でも直感ですが、どこかの入試で出題されそうな内容です。
 まず「キレる若者」という世間の常識(?!)に対して、「キレる老人」を対置させた点が“買い”です。小論文の出題のほとんどは、常識とのズレを指摘した問題提起的な課題文が少なくありません。また、「キレる老人」という具体例の中に、筆者が現代社会の問題(時間、空間、感情)を発見している点も参考になります。小論文における問題発見の重要性は以前書いたとおりで、筆者の問題発見に対する論評もよく問われる内容です。
 『暴走老人』というタイトルですが、実は「老人論」ではなく「現代社会論」なのです。皆さんの家族の中にも、すでに読んだり、読みたがっている人がいるかもしれません。1冊1,050円ですが、これなら“おねだり”の許容範囲かも・・・。受験生はボクのように老眼ではないと思うので、さくっと読めるはずです。受験のためというより、気分と発想・視点を転換するため一読をすすめます(アフィリエイトしてるわけじゃあないけど・・・)。

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