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2015.03.14

昨日の東大後期総合科目Ⅲの第1問、ボクが17年前の的中(笑)させた出題は、こんな感じ。

【設問】
 次の文章を読んで、①正義についての筆者の考えをまとめ、②その内容に関連してあなた自身の考えを述べなさい。①を三〇〇字、①と②を合せて一〇〇〇字とする。

【解答例】
 人々は正義という言葉を疑いつつ、他方では不正を真剣な非難の言葉として使うという非対称的な態度をとる。このことを説明する一つの鍵は、正義原則と正義概念との区別にある。妥当な正義原則について一般的合意がないことから、絶対的な万能公式としての正義原則に人々は懐疑的である。しかし、それは正義概念自体を無意味だと放棄するこことは別である。正義概念があることで、競合する他の正義原則がまったく考慮されなかったときに比べて結論の内容または説得力に相違がもたらされる。競合する様々な正義原則の比重の評価は「正義感覚」とでも呼ぶべきものである。人々は個々の正義原則を疑うが、正義感覚によって正義の理念に帰依している。
 
以上のような筆者の主張は、一見すると単なる“言葉遊び”のようにも思える。いったい筆者はこの主張を通じて、何を私たちに示そうとしたのだろうか。筆者の主張の意味を私なりに探ることにしたい。
 
人々はそのことに懐疑的だと筆者は言うが、一般に正義は「絶対的な万能公式」として理解されることも少なくない。そのため、正義を主張する人によほどの自己の抑制と自己への懐疑がないと、正義は常に独善的になり得る。それは、筆者が例にあげるさまざまな不正を追及する人たちの中にも、残念ながらよく見られる姿である。他方、独善的になりがちな正義原則のあり方への過剰反応なのか、正義の存在そのものを否定的にとらえる考え方もある。とりわけ価値観が多様化し「何でもあり」の風潮が強くなる中で、そうした考え方は勢いを増しているようにも思える。
 
筆者の主張はこのような現状に対する一つの提言として理解できる。筆者は正義は「絶対的な万能公式」ではなくいことを確認するとともに、「正義とは何か」(正義概念)を問い続けることに一定の意味を見出している。それは、他の正義原則が考慮されることで、ある正義原則に基づいた判断はより妥当なものになることが期待されることを指す。問題は、現代社会では他者や社会に対する無関心が広がり、こうした構図が成り立ちづらくなっている点であろう。そもそも人が正義を主張するのは、他者や社会との関わりにおいてである。あることが正義に反すると思うとき、人は自らが正義と信じることを他者や社会が実行するよう求める。正義の起点ともいえる他者や社会に対する関心の回復が今後の課題である。

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