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2012.08.14

独立自尊とは?

慶大法の夏期講習の受講者の皆さんへのプレゼント(笑)
かつて直前講習で出題した問題の解答例です。1段落が課題文の要約なので、何が問われているかは、わかると思います。

著者は「国家を個人の内面的自由に媒介せしめたこと」が福沢の思想の意味だったと評価する。これを福沢における秩序と人間の関係として、「秩序を単に外的所与として受け取る人間から、秩序に能動的に参与する人間への転換」として著者は表現している。この「転換」を支えるのが「独立自尊」という理念である。しかし、福沢の時代の日本社会は、彼が「社会的病弊」を痛烈に指摘したように、日本の国民意識には「独立自尊」つまり「自主的人格の精神」が欠乏していた。そして、福沢の死後半世紀を経た著者の時代にも状況は変わらず、日本は国民の「全体的秩序への責任なき依存」によって悲惨な戦争の最中にあった。それは、福沢が楽観した秩序と人間との関係が実現しなかったからでもある。
の文章が書かれてから六十五年たったが、「独立自尊」をめぐる日本社会の状況は変わったのだろうか。残念ながらまったく変わっていない、それどころかさらに悪化していると私は考える。著者は福沢が痛烈に指摘した「社会的病弊」の例として、権力が閉鎖性を帯び、権力批判が隠性で傍観的あることをあげる。権力批判こそ大っぴらにできるようにはなったが、権力の閉鎖性は相変わらずで、最近の雇用危機への政府の対応も当事者の声を無視して遅々として進んでいない。また、国民の側もこれに対する不満や不平を抱くものの、それが権力のあり方を変えるような政治運動となっていない点で依然として傍観的である。また、誰もが政府に対して問題解決を求めるだけで、企業や個人でできることもあるのに、その動きは鈍い。それは、まさに「秩序に能動的に参与する人間への転換」ができていないからである。
 
こうした社会だからこそ、福沢のいう「独立自尊」の意義はいよいよ高まっていると思われる。確かに著者も「峻厳」と表現するように、一人ひとりが「独立自尊」を獲得する道は遠い。しかし、いくつかの芽があることも事実である。雇用危機に対しても、契約を打ち切られた人たちが労働組合をつくり、失業者の生活を支援するボランティアやNPOもいる。彼らは政府に命じられたのではなく自発的に活動している点で、まぎれもなく「秩序に能動的に参与する人間」である。百年に一度の経済危機という表現があるが、図らずもその危機は、百年以上かけても到達できなかった「独立自尊」に、私たちが近づく好機でもある。

 

 

【解説】

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