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2011.05.21

気仙沼を訪ねました

昨晩、札幌の授業を終えて夜行列車に飛び乗り、新青森で早朝の新幹線に乗り換え、東日本大震災の被災地の一つである気仙沼に向いました。
当地には過去に二度訪れたことがあります。そのときのメンバーが義援金をもって短期訪問するので、同行させてもらったのです。ボクの地元の「さくら祭り」でも同市に82万円の義援金を送ったこともあって、一度現地を訪ね、実際にお話をうかがいたいと思っていました。
また、気仙沼市市民吹奏楽団に楽器を寄贈する団体も同行しました。同楽団が大津波で楽器を流されてしまったことを聞いた有志が、寄付を集めて楽器を購入・贈呈したのです。その様子は、今夜のNHKのローカルニュース(仙台放送局)でも放映されています。
気仙沼駅に着いて驚いたのは、駅は高台にあるためか大津波の被害が全くなかったことです。しかし、待ち合わせ場所「おさかな市場」に下っていくにつれて様相は一変し、被害の大きさに言葉を失いました。事前に悪臭(魚の腐敗臭)の酷さを聞いていたのですが、用意してきたマスクをつけ忘れるほどでした(結局つけませんでした、臭いを体感することも大切なのです)。
対応してくださった同市の管理職のOさんとKさんは、淡々と被害の状況や今後の課題について語ってくださいました。しかし、その言葉や表情には、悔しさやたいへんさが刻まれていて、ここでも思わず息をのんでしまいました。極限的な状況に耐えて生きる人間の表情は、少しオーバーかもしれませんが、本当に神々しいのです。
義援金や訪問への返礼として彼らからいただいた日本酒のラベルには「負けねぇぞ気仙沼」という言葉。その強さに頭が下がるとともに、少し複雑な気持ちになりました。彼らだけが身を粉にしてがんばるのは「おかしな話」です。被災を逃れて首都圏で生きる私たちには何ができるのか、ラベルをじっと見ながら、厳しく自問しました。
今回の気仙沼訪問では、ボクの信念から写真を一枚も撮っていません。悪気がなくても、撮影が被災者に対する「暴力」になることもあります。それ以上に、自分の心に光景をしっかりと焼き付けておくこと、それを忘れずにあれこれ思案し、実際の行動に移すことこそが、何よりも大切だと考えからです。
気仙沼からの帰路は、想像した以上の大津波被害が続いていました。確かに人が暮らしていた場所が、強烈な力で破壊された跡です。そして、メディアを通じて何度も見たはずの南三陸町に着いたときには、その凄惨さに、またしても言葉を失いました。ボクには信心がありませんが、大津波の犠牲になった人びとの無念を考え、ただただ手を合わせるしかありませんでした。
いったい、私たちには何ができるのか?日々の仕事に忙殺されていくうちに薄れ失われていた言葉を、ここでも繰り返していました。被災地を見てしまった以上、見ぬふりはできないのです。

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