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2011.02.11

日本社会の劣化と公共性

昨年はさまざまな問題で「リーク」が話題になりました。端的に言えば、公益性や公共性を認めることができれば、「リーク」に正義を認めることができます。問題は最近の「リーク」事件にはそれがなく、公開それ自体が目的化している点です。その背景にあるのが、日本社会の劣化なのです。
入試に出題するには新しすぎるテーマですが、ボクが書いた論文(奥津茂樹「自治体情報活用のメルクマール」月刊『ガバナンス』2010年12月号、ぎょうせい)を以下に抜き出して載せておきます。「リーク」に限らず日本社会の病理を考えるきっかけとして読んで、考えてくださいね。

映像流出事件を取り上げたのは、自治体の情報公開や個人情報保護保護に共通する日本社会の劣化を、そこに見出せるからである。第一に、行政組織の劣化である。
 
組織とは一定の共通目標の下に統合された集団だ。確かに組織を構成するのは個人だが、良くも悪くも個人の「一存」よりも共通目標の達成が優先される。世論の一部に今回の映像流出事件に反発する意見もあった。その多くは、こうした組織の原理や常識が覆されたことへの驚き、怒り、危惧であったと思われる。
 
情報公開や個人情報保護保護の分野でみられる行政組織の劣化とは、共通目標を無視・軽視して、職員が個人の「一存」で判断・行動することである。それを象徴するような事件は、今回の映像流出事件だけでなく相次いでいる。
  <中略>
 
しかし、劣化は行政組織だけの問題ではない。私たち市民もまた劣化しつつある。今回の映像流出事件に対する世論の反応をみると、その危惧を強くする。
 
新聞、テレビ、ネットにみられる市民の声は、映像を流出させた職員に対する称賛が圧倒的に多い。多くがドラマの意外な展開をおもしろがり、それに対して反射的に快哉の声を上げているようにみえる。領土問題や日中関係などの今後を見すえて、家庭や職場等で熟議した末の公論であるようにはみえない。
 
率直に言えば、物事を深く考えずに、単純に個人的な快・不快で物事を判断する。それが私たち市民の劣化である。歴史的であったはずの政権交代が、劣化の結果だったすれば皮肉である。今世紀に入ってからの歴代政権に対する支持率の乱高下は、私たち市民が深く考えなくなった結果だとすれば合点がいく。
 
市民の劣化をもたらした張本人はマスコミだとの指摘もある。確かに、マスコミは、熟議を欠く単なる感想を世論として絶対化してきた。世論の誤りや偏りを指摘する論調があっても、それは大きな声の前にかき消されてきた。読者、視聴者である市民は「お客さま」なのだから、それを正すことなどできない。
  
<中略>
 劣化とは判断や行動の目標が個人化し、他者との共有性を欠いた状態でもある。「閉じた公共性」といってもよい。行政組織だけではなく、市民を含めた自治体としての共有目標を確認し、それを維持強化していくことが劣化の克服になる。
  
<中略>
 
行政の複雑化がいっそう進み、私たち市民の関心や利害も多様化する中で、行政組織や市民を含む自治体の共通目標も揺らいでいる。ある意味では、バラバラで何でもありの状態が行政組織や市民の劣化を生み、情報公開条例や個人情報保護条例の停滞を招いているといえる。何のために行政情報や個人情報を利用するのか、職員も市民も常に自問し続け、必要な場合には他者に是非を問いかけなければならない。それが「開かれた公共性」をもたらす。

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