« 冬期講習(慶大法の論文対策)が始まるよ | トップページ | 読んで考える »

2010.12.19

講義問題の補足解説

冬期講習の講義問題「独立自尊」を少しだけ積み残してしまったので、以下の解説をして補足します。

論述の主題は「独立自尊」です。ただし、設問はこれに「現代の日本社会における」という限定をつけています。これらのことから、現代の日本社会における「独立自尊」はどうなっているのか?という問題発見と、その現状をどのように変えていくのか?という問題解決に分けて論じることが解答の基本であることがわかります。

①問題発見

 著者によれば「独立自尊」とは個人的自主性を意味します。福沢は「自主的人格の精神の欠乏」を彼の時代の日本社会に見出し、著者は「全体的秩序への責任なき依存」を昭和十八年の日本社会に見出します。いずれも過去のことで、現代の日本社会は「社会的病弊」を克服して「独立自尊」を実現できたのでしょうか?

 この問いに答えることが現状認識の中心です。たとえば、著者は福沢が痛烈に指摘した「社会的病弊」として、「一方厳格なる教法と、他方免れて恥なき意識とが併行的に存在すること」、「一方権力はますます閉鎖的となり、他方批判はますます隠性ないし傍観的となること」、「事物に対する軽信、従来の東洋盲信より西洋盲信への飛躍」等をあげます。他人に厳しく自分には甘い法意識、相次ぐ官僚の不祥事とそれへの嘆き、情報リテラシーの欠如(軽信・盲信)など、いずれも形や内容を変えて、現代の日本社会に存在すると指摘することができます。また、福沢は「独立自尊」の精神で「秩序に能動的に参与する人間への転換」をめざしましたが、現代の日本社会でそれは成功したのでしょうか。政治に対する無関心やボランティア・NPOの伸び悩みなどをみると、彼の時代と何も変わっていないのかもしれません。著者がいう「全体的秩序への責任なき依存」についても、昭和十八年当時ほど「国家主義」は強くはありませんが、「KY」に象徴されるように場の空気に敏感で同調傾向の強い意識は依然として強固です。もちろん、現代の日本社会の中に「独立自尊」の実現を見出すこともできますが、それは、単なる「個人主義」ではなく「秩序に能動的に参与する人間への転換」を含むものでなければなりません。

②問題解決

 以上のように現代の日本社会の中に問題を発見することは大切ですが、それだけでは答案として物足りません。問題発見は自分の周囲や社会をながめれば誰にでも容易にできるものだからです。また、発見した問題を解決していくためのツールが政治や法律であることを考えると、法学部志望者としては常に問題解決を志向すべきともいえます。

 しかし、著者が「容易ならぬ峻厳さ」を指摘するように、「独立自尊」の実現は容易ではありません。問題解決を短期・中期・長期と分けて考えるとすれば、明らかに長期煮的な取り組みによってしか「独立自尊」の実現はできないでしょう。だからと言って問題解決を放棄して、現状に身を委ねることは「全体的秩序への責任なき依存」と同じです。「容易ならぬ峻厳さ」を認識しつつも、これと正面から向き合い、粘り強く考えていく姿勢こそ「秩序に能動的に参与する人間への転換」といえます。

たとえば、「独立自尊」は制度と意識の双方から強化していくことができます。福沢や著者の時代にはなかった普通選挙が行われ、民主主義という秩序に参与する制度は確立したかのように思えます。しかし、低投票率が象徴するように人びとの意識は「独立自尊」からほど遠いといえます。これをどのように改めていくべきでしょうか。もちろん選挙だけが民主主義であるわけではありません。市民参加や情報公開など、個人が秩序形成に参与する他の制度をきたえることも必要になるでしょう。また、福沢が慶応義塾を見学したように、教育も「独立自尊」の実現に多大な貢献を為しうる制度です。しかし、大学教育を含めて現在の教育制度は著者のいう「巨大な任務」を果たしえているのでしょうか。そして、「秩序に能動的に参与する人間への転換」を果たしていくためには、現在の教育の制度やこれにかかわる人々の意識をどのように変えていくべきなのでしょうか。このような自問を通じて問題解決の方向性を模索することが解答の基本です。

なお、現代の日本社会で「独立自尊」が実現していると考える立場の場合、それに満足・安心するのではなく、何らかの課題を発見して、それに対処する方策を考えることが必要です。

« 冬期講習(慶大法の論文対策)が始まるよ | トップページ | 読んで考える »

カテゴリー

2015年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31