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2009.02.05

共感的態度

 ボクが理事をつとめるNPOぐらす・かわさきのニュースレターに書いたコラムです。人が人を評価することの危うさと悩ましさを取り上げました。どうすれば共感的な態度を身につけることができるのか?自己に対する内省の文章でもあります。ちょっと長いけど読んでみてください。

 川崎市多摩区は「磨けば光る多摩事業」という市民提案型の協働事業を実施しています。今年度の事業額は約200万円です。額は少ないものの、市民の日常的な気づきを活かした公共サービスを生み出す点で意味の大きな事業です。今年度はぐらす・かわさきを含めた7団体が事業を提案し、このうち4団体の事業が選考されました。この提案事業を評価・選考するのが「審査会」です。なお、ぐらす・かわさきは、これまで2度応募しましたが、いずれの提案事業も落選しています。
 だからというわけではありませんが、この選考過程に関する記録を情報公開条例に基づいて公開請求してみました。その結果、「審査会」の会議録、採点表など、「磨けば光る多摩事業」に関するたくさんの文書が昨年秋に公開されました。全国各地で同様の協働事業が広がっていますが、事業の透明性と公正性に疑問のある例も少なくありません。市民と行政との協働が新たな癒着やミニ利権のようなものを生み出しては、せっかくの「芽」をつぶしてしまいます。情報公開を求めたのは、そんな問題意識からです。
 情報はめでたく公開されました。しかし、公開された会議録を読み進めていくうちに、私は少し暗く重い気分になりました。それは、提案事業に対する「審査会」委員の発言の中に、すごく「いやな感じ」の言葉が散見されたからです。
 たとえば、今年度の会議録では、選外となった提案事業について「狙いはよいと思うが、ラフな計画」、「人件費や報償費、募集方法等も具体性が見えない」、「思いつき的でちょっと計画性が甘い」など、委員の辛らつな評価が並んでいます。「審査会」委員は学識経験者だけでなく住民代表もいます。同じように地域で暮らし、働く「仲間」であるはずの人たちの、上から下を見下すような視線。それが、「いやな感じ」の理由なのかもしれません。
 評価・選考に先立ち、提案団体は「審査会」で事業の目的や内容を説明します。提案事業に難点があるならば、その場で指摘して、それをどのように改善していくのかをたずねることもできたはずです。玉と石とを選り分けるのではなく、そのように石を磨くのが事業の目的だったはずです。
 必要に応じて「補い助ける」ことこそ「仲間」としての役割・使命です。ところが、官尊民卑が根強い日本社会では、役所にかかわる地位や肩書きを得ると偉くなった気分になり、ヨコではなくタテの関係で物事を考え、話す人がいます。「仲間」に対する共感が弱くなるのは、そんな風土の名残りといえます。
 以上は自戒の言葉でもあります。私は横浜市指定管理者制度委員会の委員として、第三者評価機関の選考に関わっています。また、ぐらす・かわさきでは「ぐらす基金」の応募事業の選考を担当してきました。また、予備校講師をなりわいとしていて、他者に対する評価を日常業務としています。「上から目線」にならぬよう気をつけているつもりですが、同じ人間そして「仲間」として相手に共感し、それぞれの考えや行動を尊重しているかを自問し続けなければ…と痛感しています。

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