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2007.12.28

『暴走老人』を読む

 例によって詳細は企業秘密ですが、駿台・冬期講習で現代若者論をテーマに出題しました。そのときに解説したのですが、理念・根拠なき保守化(2007年)、問う能力の欠落(2006年)など、慶大法の出題の背後には現代の若者に対する眼差しを感じ取ることができます。時代をさかのぼれば、グライダー人間とモラトリアム人間(1987年)があり、「今の若い奴は・・・」という視点での出題は歴史もあり、出題例も多いのです。
 こうした出題では若者に対する否定的な見方が一般的です。しかし、出題者はこの見方を強制しているのではなく、むしろ跳ね返すバネ(メディアリテラシー=与えられた情報を疑う力)を期待している節もあります。確かに「今の若い奴は・・・」と言われて、安易にうなずいたり、自己嫌悪に陥る若者だけだったら気味が悪いし、明るい未来も期待できません。
 跳ね返すときの一つの素材となりえるのが、タイトルの『暴走老人』という著書です。芥川賞作家の藤原智美さんの著作です。ボクも先日ようやく手に入れて、いま読み始めています。数時間で読める内容ですが、読むよりも書く仕事を大量に残しているため、時間がなく読み終わっていません。でも直感ですが、どこかの入試で出題されそうな内容です。
 まず「キレる若者」という世間の常識(?!)に対して、「キレる老人」を対置させた点が“買い”です。小論文の出題のほとんどは、常識とのズレを指摘した問題提起的な課題文が少なくありません。また、「キレる老人」という具体例の中に、筆者が現代社会の問題(時間、空間、感情)を発見している点も参考になります。小論文における問題発見の重要性は以前書いたとおりで、筆者の問題発見に対する論評もよく問われる内容です。
 『暴走老人』というタイトルですが、実は「老人論」ではなく「現代社会論」なのです。皆さんの家族の中にも、すでに読んだり、読みたがっている人がいるかもしれません。1冊1,050円ですが、これなら“おねだり”の許容範囲かも・・・。受験生はボクのように老眼ではないと思うので、さくっと読めるはずです。受験のためというより、気分と発想・視点を転換するため一読をすすめます(アフィリエイトしてるわけじゃあないけど・・・)。

2007.12.25

コンビニ弁当の再生食堂

 まさに「師走」ですごく忙しくって、「新しい公共フォーラム」の報告もようやく第2回目です。
 テレビでも大きく取り上げられてきたので知っているかもしれませんが、舞台は路上生活者が多く暮らしている横浜・寿町です。そこでは、路上生活者の自立支援をしているNPO「さなぎ達」が活動しています。フォーラム分科会には、その理事・事務局長をつとめる櫻井さんが出席してくださいました。
 リンク先のHPを見ればわかるように、「さなぎ達」はさまざまな活動をしています。今回は、その中の一つ「さなぎ食堂」について報告していただきました。櫻井さんたちはホームレスが昼間集える場所として「さなぎの家」を運営しています。そこでは路上生活者に支給されるパン券1枚または300円で温かい食事を提供しています。その「機能」が「さなぎ食堂」です。
 路上生活者には高齢者が多いにもかかわらず、栄養のある食事をとることができません。しかし、NPOが提供できる食事には予算や人手の面で限界がありました。そんなとき、コンビニのローソンが余剰食材の受け入れ先を探していて、それを横浜市が櫻井さんたちにつないで実現したのが現在の「さなぎ食堂」です。
 「さなぎ食堂」では、消費期限前のパンや弁当を一つ50円で販売しています。また、コンビニの工場で出た余剰食材(揚げ物やお惣菜)を最調理して、300円の定食に再生させます。「さなぎ食堂」のブログには、定食のメニューが紹介されています。いずれも、こうしたNPO,企業、行政の協働がなければ、ゴミとして捨てられる運命にあった食材です。
 ローソンはこれにより廃棄食品の1/3を減らし、「さなぎ食堂」の利用者も1日平均で50人も増えました。これらは無償提供され、売り上げは「さなぎ食堂」や「さなぎの家」の維持に活用されます。
 櫻井さんの報告を聞いて、実に大切な仕事をしているなあと感激しました。そして、市民活動やボランティア活動がインターフェイスを広げていくことで、いろいろな可能性が開けていくことを再確認しました。何となく閉塞感が漂う時代ですが、人間と人間がつながることの面白さを受験生の皆さんにも知ってもらいたいと思い紹介します。

2007.12.13

ダイバーたちの大掃除

 昨日は、以前紹介した「新しい公共フォーラム」があり、約200人が参加しました。舞台裏での後房雄さん(名古屋大学法科大学院教授)との雑談も刺激的で面白かったのですが、受験生には少し難しい話もあるので、分科会に登場したNPOの皆さんを紹介しましょう。ボクはその分科会のコーディネーターをつとめたのですが、それぞれの話がとても魅力的だったからです。
 その第1回は、海をつくる会の坂本さんの話です。
 上のリンク先を見ればわかるように、彼は海をまもり・つくるために実に多彩な市民活動をしています。そのうちの一つが、記事タイトルにあるダイバーたちの大掃除です。横浜の山下公園前の海の底には、モラルのない人が捨てたゴミが埋もれています。空缶やペットボトルだけでなく、自転車、タイヤ、ビーチパラソルなどなど・・・坂本さんたちは、もう25年以上も前からその掃除をしています。
 ただ掃除といっても、そのへんにあるゴミを拾うのとはまったく違います。海底にあるゴミなので、もぐって引き揚げるのです。ちなみに昨年は約40名のダイバーが参加し、引き揚げたゴミはなんと1.5トン!!もぐっては引き揚げの繰り返しで、気力だけでなく体力も必要な仕事です。何年か前からは芦ノ湖の湖底清掃を始め、今年は富士五湖の一つ西湖の清掃を行いました。
 また、彼らはゴミを引き揚げるだけではなく、「あまも」という海草を植える活動もしています。「あまも」が水質を浄化し、微生物や幼稚魚を育んでいくのです。分科会終了後に坂本さんに話を聞いたら、彼らが植えた藻場にカレイの稚魚が育っていたとのこと。せせこましい世の中で、なかなか大きな夢のある話だなあと思いました。彼はまだ若いのですが、思わず枯れ木に花を咲かせた「花咲じいさん」(ごめんなさい)をイメージしてしまいました。
 どんなに一生懸命にゴミを引き揚げても、ゴミはなくなりません。「あまも」を増やすには途方のない時間がかかります。それを徒労という人がいるかもしれませが、そのように理屈をつけて無為に過ごすよりは、「自分でできることは何でもやってみようよ」という生き方の方がボクはおもしろいと思います。坂本さんや他の報告者の話(生き方)を聞きながら、若い世代を対象とした「よく生きる」という意味での教養講座をいつかやってみたいなあ。
 まもなく年の瀬です。自分の家や車をキレイにするだけでなく、ダイバーたちの大掃除のように、海、湖、川をはじめとするコモンズ(共有財)もキレイにしたいと願い、行動する人が少しずつでも増えると良いですね。
 

2007.12.11

日の丸・君が代

 今日はボクが連載を持っている月刊誌『ガバナンス』の原稿を仕上げました。テーマは福祉まつりから一変して、日の丸・君が代です。頭の切り替えがタイヘンですが、何とか書き終えました。
 1999年の国旗国歌法の制定を受けて、2002年に試行された学習指導要領では、学校において「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」ことが盛り込まれました。これに基づいて、東京都のように入学式・卒業式における起立と斉唱を教職員に強制する動きがあります。
 一方、一部の教職員は、過去に日の丸・君が代が果してきた役割に対する反発から、起立・斉唱を拒んでいます。教育委員会がこうした教職員の個人情報を収集していますが、それがプライバシー侵害にあたるとする判断が相次いで示されました。ボクの原稿はそれをわかりやすく解説したものです。
 学校における国旗国歌の扱いについては、慶應大学総合政策学部が2005年の論文テストで出題しました。それぞれの思想・信条がからむだけに、解答に窮した受験生も多かったともいます。出題者もそれを想定・配慮し、どのような立場をとるかは採点対象外とし、あくまでも論理性を評価する旨を明示しています。
 国歌斉唱時に起立しない教職員の個人情報の収集も、そのように冷静に論理的に考えるべきなのですが、国旗国歌をアイデンティティとする人も多いため、理性を忘れ不必要に過熱しがちなのが実情です。受験生の皆さんは学校における国旗国歌の扱いについて、どのように考えますか?また、これを強制する現状をどのように評価しますか?
 普段あまり考えることのないテーマだけに、自分自身の考えを整理してみてください。

2007.12.07

死刑執行の情報公開

 重い話なのでスルーしても構いませんが、ボク自身も事実と向き合いたいと思い記します。
 今日の夕刊各紙は3人の死刑囚の刑の執行について、初めて氏名が公開されたことを大きく報道しています。かつて、マスコミの記者研修で情報公開について講演したときに、ときどき質問されたのが死刑執行の情報公開です。当時は公開が困難だったため、「からめ手」から情報を入手する術をアドバイスした記憶があります。 長い年月を経て、今日、ようやく死刑執行の情報公開が実現したのです。
 その記事を読み、はじめて公開された死刑囚の名前をみて驚きました。そこに同級生だった男の名前があったからです。確かボクが大学院生のときだったと思います。彼は女性にふられたことを恨み、彼女ばかりか母と妹を殺害し、その事実を知った友人を口封じに殺害しました。当時大きく報道され、同級生のボクも大きな衝撃を受けました。彼とは保育園、小学校、中学校と同級生で、親しくはなかったのですがそれなりに知っていました。
 記憶に残っているのは、自分より弱い者をたびたびいじめていたことです。彼もケンカが強い方ではなかったので、いじめられることが少なくありませんでした。「抑圧委譲」という言葉がありますが、彼は弱い者をいじめることで自己の抑圧を軽減していたのでしょう。
 それと、殺人を犯し逮捕されたときか、初公判のときだったか忘れましたが、報道陣に対して彼がピースサインをしたことを鮮明におぼえています。自分が犯した罪の重さの自覚を感じさせない振る舞いに、誰もがびっくりしたと思います。しかし、彼の生い立ちを知っているボクは、目立たない奴だっただけに、メディアの注目を浴びて興奮状態にあったのかもしれないと考えました。しかし、こうした形でしか周囲から注目されない、自分を認めてもらえなかった・・・、その振る舞いは肯定はしないけれども理解できるものでした。思春期に自己肯定感を得ることの大切さを実感したことをおぼえています。
 その彼が死刑になりました。彼に殺害された犠牲者のご冥福を祈るとともに、こういう形でしか認知されなかった彼の存在について改めて思いをめぐらしたいと思います。 

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