体感不安の時代②
前回は現代の日本社会における体感不安の広がりを取り上げました。で、今回は、その背景を考えてみたいと思います。とは言うものの、短いコラムなので、どこまで説明できるかわかりません。でも、考えるきっかけくらいは提供するので、あとは自分の頭で考えてみてください。
体感不安の広がりは一時の流行ではなく構造的なものである・・・というのがボクの仮説です。構造的とは現代の「豊かな社会」のことです。
皆さんは何かほしいものがありますか?とにかくカネがほしいという人もいるかもしれませんが、「豊かな社会」では人びとの多くは少なくとも物質的には満足しています。しかし、満足してしまうと、商品・サービスを購入しようとする意欲が減退します。それは、商品・サービスを売る側からすると、たいへん困った事態です。
そこで、CMや生活情報番組を通じて、おびただしい商品・サービスに関する情報を流し、人びとの欲望を喚起し続けるのです。これをポジとすれば、ネガにあたるのが不安の喚起です。「生きるとは不安と正しく向き合うことである」など悟った人は少ないので、不安を突きつけられると誰もがおびえ「何とかしたい」と考えます。そこに、すっと商品・サービスが差し出されると思わず買ってしまうのです。
要するに、基本的な生活需要を満たした「豊かな社会」で、余計なものを購入させるための仕掛けが体感不安なのです。
以前、エコノミストという雑誌に小文を書いたのですが、そのときの特集のタイトルは「安全特需」でした。体感不安の増大は安全に関する商品・サービスを流行させますが、それをこのように表現したのでしょう。ボクも「安全特需」の手先とならぬよう、講演のときには「個人情報の流失を防ぐため、カギつきの書棚を買えとは言いませんが・・・」などと言葉を付け足しています。
このように考えると、「豊かな社会」に生きるボクたちは、一生ずっと不安にさらされ続けるとの不幸な予測が成り立ちます。不安は容易に解消されない方が、商売をする側にとっては好都合だからです。
この悪循環を断ち切るには、どうしたら良いのでしょうか?難問ですが、考えてみてください。



