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2007.08.29

入試情報の公開

 予備校以外の「お仕事」(…とは言っても金銭的な報酬はなく、世の中が少しだけ良くなることが果実の仕事です)として、情報公開制度を使っていろいろなことをやっています。そのうちの一つが入試情報の公開。とは言っても大学受験ではなく、高校受験に関する情報の公開です。
 これまでも神奈川県をフィールドに、高校入試の選考基準や中学校間の絶対評価の格差などを公開させました。その結果、高校別の選考基準は今では制度を利用しなくても県教委のHPで公開されるようになり、誰もが自由に情報を入手できます。また、絶対評価の格差については学力検査(入試)と調査書の比率も6:4だったのが多くの高校で4:6になり、評価が甘い中学校と辛い中学校との格差が合否に与える影響を軽減させる入試改革につながりました。中学校ごとの絶対評価の状況(格差)も、今では県教委のHPで公開されています。
 次の課題が、合格最低点等の合否の目安の公開です。慶応大学のように大学では合格最低点の公開は当たり前です。受験生はこれを一つの目安に努力するのですが、高校入試では、これが依然として公開されていません。今年1月に岐阜県で合格最低点の公開を求める第三者機関(情報公開審査会)の答申が出ました。マスコミがこぞって「画期的」と答申を評価したのは、全国的にきわめて珍しい判断だったからです。ところが、5月、岐阜県教委は答申を無視して、高校入試の合格最低点を再び非公開にしてしまいました。
 非公開の理由は高校別の合格最低点が公開されると、高校の序列化が行われるというものです。「何をいまさら・・・」という感じですが、受験生の皆さんはどう思いますか?ちなみに神奈川県の公立高校では合格最低点は算出しておらず、ボクが公開を求めているのは合格者の教科別平均点です。「ない」よりはマシで、確かに合否の目安になります。しかし、これも序列化を理由に非公開です。
 高校の序列は自明で、最近は進学実績を公表する高校も多く、自ら序列化を生み出しているのに、それを理由に非公開とは・・・ったくもう。合否の目安は生徒や保護者が志望校を選ぶときの判断材料となります。選択の自由を実効的に保障するためにも情報公開が必要だとボクは考えています。短いコラムでは伝えきれないほどの深い問題が横たわっているのですが、秘密のベールはアチコチにあることくらいは理解してください。
 そんなことしてるから、ボクの仕事がまた増えてしまうのです。ほんと、困った・・・

2007.08.19

体感不安の時代③

 体感不安の悪循環を断ち切るのは容易ではありません。しかし、方法がないわけでもありません。前回の文章の中にも、そのヒントを入れておきました。
 それは「不安と正しく向き合う」ということです。お釈迦様だって生老病死の苦しみや不安から逃れられなかったのですから、ボクたち凡人が不安を容易に解消できるはずはありません。不安の低減はできても解消などできない・・・と良い意味で開き直ることが、向き合うための第一歩です。
 たとえば、体感不安の一つである犯罪がそうです。確かに「犯罪のない明るい社会」をめざすべきですが、実現は容易ではありません。しかし、現代の日本のように、ゼロは無理でも世界的にみて犯罪の少ない社会をつくり維持することは可能です。そのためには「犯罪はなくならない」と放置するのではなく、それが起こるたびに心を痛め、みんなが再発防止や未然防止を考えていくことが必要です。
 そうした努力が報われないとしても、ムダと決めつけて簡単に諦めないこと。それが良い意味で開き直るということです。そして、それは犯罪だけでなく、戦争や災害などあらゆることに当てはまるとボクは思います。受験だって、そういう面がありますよね。
 ただ「不安と正しく向き合う」というのは心理的にしんどいです。気持ちが相当にタフじゃないと向き合えません。そこで「正しく」という言葉の意味が重要になってきます。これはひとりで向き合うことを意味するものではありません。不安が大きければ大きいほど、そんなことは無理なわけで、他者と力をあわせて社会的に向き合うしかなく、それが「正しく」の意味です。
 ところが、人間関係の希薄化が進み、ひとりで大きな不安と向き合わざるを得ない社会になってしまいました。それが、また体感不安を増大させてしまう悪循環を生み出しているのかもしれません。「不安と正しく向き合う」には現代の日本社会における関係性のあり方にメスを入れ、人間と人間の「つながり方」や相互支援のあり方を再考していかなければならないかも・・・というのが今回の結論です。
 ボクがボランティアや健康マージャン(飲まない・吸わない・賭けないマージャンで4人でゲームをする。今年から全国福祉まつり「ねんりんピック」の正式種目に昇格!!)にこだわるのも、そのためです。

2007.08.17

体感不安の時代②

 前回は現代の日本社会における体感不安の広がりを取り上げました。で、今回は、その背景を考えてみたいと思います。とは言うものの、短いコラムなので、どこまで説明できるかわかりません。でも、考えるきっかけくらいは提供するので、あとは自分の頭で考えてみてください。
 体感不安の広がりは一時の流行ではなく構造的なものである・・・というのがボクの仮説です。構造的とは現代の「豊かな社会」のことです。
 皆さんは何かほしいものがありますか?とにかくカネがほしいという人もいるかもしれませんが、「豊かな社会」では人びとの多くは少なくとも物質的には満足しています。しかし、満足してしまうと、商品・サービスを購入しようとする意欲が減退します。それは、商品・サービスを売る側からすると、たいへん困った事態です。
 そこで、CMや生活情報番組を通じて、おびただしい商品・サービスに関する情報を流し、人びとの欲望を喚起し続けるのです。これをポジとすれば、ネガにあたるのが不安の喚起です。「生きるとは不安と正しく向き合うことである」など悟った人は少ないので、不安を突きつけられると誰もがおびえ「何とかしたい」と考えます。そこに、すっと商品・サービスが差し出されると思わず買ってしまうのです。
 要するに、基本的な生活需要を満たした「豊かな社会」で、余計なものを購入させるための仕掛けが体感不安なのです。
 以前、エコノミストという雑誌に小文を書いたのですが、そのときの特集のタイトルは「安全特需」でした。体感不安の増大は安全に関する商品・サービスを流行させますが、それをこのように表現したのでしょう。ボクも「安全特需」の手先とならぬよう、講演のときには「個人情報の流失を防ぐため、カギつきの書棚を買えとは言いませんが・・・」などと言葉を付け足しています。
 このように考えると、「豊かな社会」に生きるボクたちは、一生ずっと不安にさらされ続けるとの不幸な予測が成り立ちます。不安は容易に解消されない方が、商売をする側にとっては好都合だからです。
 この悪循環を断ち切るには、どうしたら良いのでしょうか?難問ですが、考えてみてください。

2007.08.14

体感不安の時代①

 体感不安とは、言葉のとおり、一人ひとりの人間が他者や社会に対して何となく感じる不安のことです。不安についての客観的な根拠(事実)は薄弱なのですが、多くの人はその存在を疑いません。現代の日本社会には、テロ、犯罪、災害、健康、食品安全などなど、この体感不安が満ちています。
 ボクも個人情報保護の講演をするときに、流失・盗難された個人情報が犯罪に悪用される例をあげ、あえて聴衆の体感不安をあおることがあります。もちろん不安にさせることが目的なのではなく、体感不安を利用して個人情報の管理態勢を振り返り、必要に応じて強化してもらうことが「狙い」です。
 同様に、テロ、犯罪、災害など人びとの不安をあおる報道や情報伝達には、つねに「狙い」が潜んでいることに気づかなければなりません。そうでないと「狙い」どおりに踊らされて、不安に過剰反応して、不必要で無意味な費用を支払わなければならなくなるからです。
 身近では、健康に関する器具や食品を買いあさり「散財」してしまう人が好例です。彼や彼女は費用に見合うだけの効果(健康)を獲得できたのでしょうか?こういう疑問を打ち消したいからこそ、CMは一部の成功(?)例を引き合いに出して、商品やサービスの有効性を強調するのです。○○○キャンプに入って(DVDをみて)エクササイズすれば、ホントに1週間でダイエットできるのですかね・・・
 視野をもう少し広げると、少年犯罪への体感不安は厳罰化を基本とする少年法改正という「狙い」を実現させました。中国の食品・製品の問題では、末永く付き合うべき隣人への誤解や偏見を増加させるという「狙い」が奏功しつつあります。この秋にはテロ特措法延長が与野党対立の焦点になることから、延長を狙う側がどのように体感不安をあおるか要チェックです。
 体感不安は現代の日本社会を考えるうえで、とても良い素材といえます。体感不安をあおり、人びとの意識や行動を誘導しようとする例はたくさんあります。まずは、身のまわりや社会の中で思い当たるものを見つけて、そこに潜む「狙い」を考えてみてください。問題発見の先は、次回につづく・・・です。

2007.08.04

ホームレスのこと

 今日の午後は横浜でシンボがありました。社会保障制度改革に関する厚生労働省のCさんの基調講演のあと、神奈川県内のNPOのリーダーたちが最近の活動や今後の課題について報告し、意見交換する4時間超の集まりです。ちなみにボクはNPOが指定管理者制度(公共施設の民営化)にどう取り組むべきかを話しました。
 そこで、ホームレスの生活支援を長く続けてきたTさんに久しぶりに会いました。 受験生にとっては「知らない世界」だと思うので、彼の話を少しだけ紹介しましょう。
 支援立法(ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法)の効果もあって、統計上ではホームレスの数は減っています。2003年には全国で25296人だったのが、2007年には18564人と6732人減少しました。総数だけみると2割強も減ったのですが、内訳をみると「もう一つの問題」が浮かび上がるとTさんは指摘します。
 増減を年代別にみると高齢者は約1000人程度しか減少していないのです。つまり減少したのは、若くて、働けるホームレスだったというのがTさんの分析です。それは、最近の社会保障制度改革の流れを受けて、支援立法が就労支援を重視した結果ともいえます。就労できる体力と意欲のある若いホームレスは自立できるかもしれません。しかし、高齢のホームレスには支援立法の効果が十分に及んでいないのです。
 この人たちをどうケアしていくのか?シンポが終わったあとTさんと少し話をしたのですが、長くなるので、その内容はまた今度にしましょう。さまざまな現場の話を聞き、質問や意見を交わすことで理解を深めていく…本、新聞、ネットでは得られない「生きた勉強」の大切さを再確認したシンポでした。

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