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2007.07.27

議論を踏まえて、自由に論じる

 一昨日から横浜校での夏期講習が始まっています。サッカー・アジア杯敗戦のショックを乗り越えて、きちんと前向きに授業をやっています。
 第1日に「公共化する身体」という慶大法の2003年出題を取り上げました。この問題の特色は「筆者の議論を踏まえて…自由に論じなさい」という設問にあります。「踏まえる」と「自由に」が矛盾する感じがするので、戸惑う受験生が少なくありません。
 そこで、受験生の疑問を解消しつつ、解答のポイントを解説しました。設問は、第一に課題文の「公共化する身体」という考え方に対する論評を求め、第二に「公共性の問題一般」について「自由に」論じることをを求めています。 「踏まえる」は前者に、「自由に」は後者に対応していることがわかりますよね。要するに、このような設問に対応して、解答すれば良いのです。
 おそらく答案の前半は、筆者の議論を引用しつつ、あるいは要約した上で、その考えを論評することが中心になります。後半は、筆者の議論から導き出される「公共性とは何か?」を中心に論述することになるでしょう。その際に注意すべきことがあります。それは、前半と後半との脈絡をつけることです。設問が「それと関連づけて」と表現しているのは、そのためです。
 論評で筆者の議論を肯定的に受け止めた答案は、後半の論述では公共性のあり方への疑問を示すことになるでしょう。逆に、否定的に受け止めた答案は、公共性の大切さを説くことになるでしょう。そのようにして、「踏まえる」と「自由に」は矛盾しないどころか、一貫して展開することになるのです。
 出題者・大学側は実によく考えて出題しています。設問、課題文の内容にかかわらず解答方法をワンパターン化することの「恐怖」を実感してください。論文の型なるものを信じるものは救われず、時間はかかりますが、その場で考える力をつけることこそ必要なのです。
 「走りながら考える」のはサッカーだけでなく、小論文対策でも、そして人生でも基本なのではないかとボクは思います。

2007.07.25

なまずの悩み

 昨日のコウモリが早速恩返しになまずを持ってきてくれた…という話ではありません。ある自治体で作成した「防災シール」をめぐる話です。
 最近は体感不安の増大から防災への関心が高まっているので、個人情報保護に関するボクの講演では、必ず災害時要援護者情報の共有化問題を取り上げます。中越沖地震もあったので、今日の午後の講演でも取り上げる予定です。
 「災害時要援護者」とは、要介護者、障がい者など、地震や水害等の災害時に自力では避難が困難な災害弱者のことです。とりわけ地震など広範かつ大規模な災害時には役所だけでは対応困難なため、自主防災組織という地域組織が避難支援・救助を担うことになります。そのためには、これらの組織が災害弱者の所在を日常的に把握していなければなりません。
 ところが、個人情報保護が壁になって、災害弱者に関する情報の把握・共有化が進んでいないのです。そもそも個人情報保護制度は個人情報の利用と保護とを調整するためのものですが、新しい仕組みのため一般の理解が進まず、さまざまな「過剰反応」(過度な保護による利用の妨げ)を生み出しています。この問題は「過剰反応」の典型例です。
 個人情報保護に配慮しつつ共有化をどう進めていくか?いま、この難問に取り組むため、ボクが主任研究員をつとめるNPOは共同募金会の補助金をいただき、神奈川県内の実態調査を始めたところです。そんな中で「発見」したのが、なまずのイラスト入りの「防災シール」です。災害弱者の存在を地域住民に知らせるために、この自治体では「防災シール」の活用を考えました。これならば、災害弱者リストの共有化という難事を避けることができます。
 拍手パチパチの良案のようにも思えますが、よーく考えると問題ありといわざるを得ません。要介護者、障がい者の世帯は「防災シール」を軒先に貼っておけば、災害時に地域の人たちが安否確認や避難支援をしてくれると考え安心かもしれません。しかし、そうした善意の人たちばかりなのでしょうか?災害弱者=犯罪弱者であることを考えるならば、「防災シール」は犯罪者にターゲットの存在を知らせるものに他なりません。
 「防災シール」を考案した人たちの名誉のために言っておきますが、難問解決に良かれと思って取り組んだ努力は高く評価します。しかし、配慮が足らなかった…
 「防災シール」の負の側面に着眼した犯罪が起きないことを祈ります。この記事で自治体名を明かさないのも、そのためです。もちろん祈るだけではいけないので、議員やマスコミを使って再考させるつもりです。事件が起きてしまってからでは遅すぎるので…
 受験生の皆さんは、この話から複眼的思考の大切さを学んでください。人間は善意で物事を進めるときに負の側面を見失いがちです。愛らしい(?!)なまずちゃんに「牙(きば)」があるかどうかは知りませんが、まず疑ってみることが複眼的思考の基本です。

2007.07.24

こうもりとコウモリ

 今日、家を出るとき、玄関に置いてあった傘(こうもり)をどけたら何か黒いモノが落ちていました。ずいぶんと大きな綿ぼこりだなあと思って手を伸ばすと、それに手足のようなものがついていたのです。つ、ついに謎の宇宙生命体が地球を侵略に来たのかと覚悟を決めつつ、目を凝らすと体長5センチほどのコウモリでした。
 腹ばいになり動かないので、家人に踏まれてしまったのでは?と心配しましたが、どうやら無事なようです。コウモリを放置したまま外出すれば、夜になり彼(彼女?)が躍動し始めたとき、家中大騒ぎになるでしょう。この間のサッカー・アジア杯でも近所に騒音をまき散らしていたので、これ以上の騒ぎを避けるべくコウモリを外に逃がすことにしました。
 まずは、折り込み広告にそっと乗せて、マンションの生垣の裏側にはなしました。しばらく木にしがみついていましたが、その後、どこかへ飛んでいきました。どうやらドアの外側に立てかけていたボクの黒い傘にもぐりこみ寝ていたところを、傘と一緒に家の中にしまわれてしまったようです。通気口に巣を作ったり人間にとっての悪さもしますが、かわいいヤツでした。
 ところで、鶴は恩返ししてくれるそうですが、コウモリはどうなんでしょう?そんな期待するより目の前にある仕事の山を早く片付けなきゃ。

2007.07.22

個人情報保護の講演会

 7月25日(水)午後、東京都多摩市で私が講師をつとめる講演会があります。テーマは個人情報保護対策入門で(小論文対策入門ではありません、ゴメン・・・)。誰でも自由に参加できるので、時間と関心のある受験生もどーぞ。この記事をPCで読んでいる人は以下のリンク先をクリックしてください。詳しい案内があります。

 ○講演会のご案内・・・Link

 その日は講演を終えてから駿台・横浜校で夏期講習の授業(3時間)があります。そして、家に帰ってサッカー・アジアカップの準決勝をみる、というより熱烈応援する予定。梅雨明けはまだだけど、長くて暑い一日になりそうです。
 昨日のオーストラリア戦は、日本がそれなりにゲームを支配できていたため安心してみていられました。しかし、決勝点がちっとも取れず、PK戦にもつれ込んだ展開に、終了後はひどく脱力しました…

2007.07.18

お客様な時代

 夏期講習の第3日は少し軽めの実戦テスト。オリジナルの新作問題なので詳細は「企業秘密」なのですが、解答例の一つには消費社会の病理を取り上げました。個人の欲望を刺激し続け、それを際限なく拡大させていくのが消費社会の病理の一つです。しかし、病理はそれだけではありません。
 若い受験生は絶対に知らないと思いますが、かつて「お客様は神様です」をきめ台詞にしていた国民的演歌歌手がいました。彼のいうお客様の神格化をとことん進めていくのも、消費社会の病理といえます。いまやCS(顧客満足)は企業ばかりか学校や公共施設でも信奉される「神話」になりました。しかし、お客様の神格化は社会のアチコチで臨界点に達して非常に危険な状態になっています。
 月刊誌『ガバナンス』のボクの連載に、公共施設の利用者がお客様化することの問題を取り上げたことがあります。そもそも公共施設は住民の共有財産(コモンズ)であり、その良し悪しを決めるのが住民参加の成否です。しかし、お客様化した住民は公共施設のサービスに苦情や要望を言うだけで、自らの責任(参加)を果たさないフリーライダーになってしまいます。指定管理者制度という公共施設の民営化は、その傾向を一気に進めるおそれもあります。
 今日の授業で、ある公共施設の館長の話を紹介しました。その施設は企業が指定管理者となって運営しています。しかし、並の企業と違うのは、CSを重視しつつも住民に施設の管理運営に関する問題を提示し、その参加や責任意識を引き出そうとしていることです。同様にしてサービス利用者に当事者意識を持たせるべき分野が学校や病院です。
 お客様な時代は、個人が社会システムへの「お任せ」を強めていく時代です。その結果、個人が自分で難問と向き合い、解決していく力がいよいよ低下していくのです。予備校講師としてCS・授業評価はちょっと「こ・わ・い」ですが、お客様に苦労させないイージーなサービスはかえって生徒の皆さんをダメにする…というのがボクの信念です。きっと、わからないことも多いと思いますが、だからこそ物事を考える力がつくと考えてください。
 予備校以外にも複数の仕事をかかえていて、何だか「超」がたくさんつくくらい多忙なのですが、機会があれば「お客様な時代」というタイトルの新書でも書きたいと思います。
 

2007.07.17

右か左か…という勘違い

 夏期講習の第2日。慶大法の2007年出題を小テストで取り上げ、実際に答案を書いてもらいました。事前に準備したとはいえ、要約(500字)と論述(500字)を60分で仕上げるのはタイヘンだったと思います。お疲れさまでした。
 設問は「法」「政治」「歴史」の三者の関連の要約を求めています。要約を通じて、「歴史の真実と政治の正義」(課題文のタイトル)という論点が浮かび上がります。それについて自分の考えを述べるのが解答の基本です。
 歴史は「唯一絶対の真実」を求めます。一方、法・政治は真実がいくつもあることを前提に、相互調整を通じて「真実」を取り決めます。前者を絶対的真実、後者を相対的真実と言い換えても良いでしょう。そのいずれを重視するかが問われています。
 ところが、授業でも話したとおり、ネット上の書き込みを読むと「右か左か」が問われていると勘違いした人がかなりいたようです。それは課題文の後半に、東京裁判、南京虐殺、従軍慰安婦などの具体例にひきずられのかも。勘違いした人たちは、それらの記述から筆者を勝手に「左」と考え、日本の戦争責任をめぐる「右か左か」の話しに論点がズレていった・・・。そんなところでしょうか?
 要約の体裁が整っていても、「右か左か」では理解の浅さを自ら証明してしまいます。失敗しないためにも、直感に頼らず、正確に論点を把握しましょう。

PS.右とか左とか書いてたら、ムーディー勝山の名曲が聞こえてきたような・・・

2007.07.16

問う能力の再開発

 今日は駿台の夏期講習・慶大対策論文<法学部>の初日。2006年出題「問う能力の再開発」を中心に講義したのですが、その趣旨が受講生の皆さんには伝わったでしょうか?
 この出題は従来の傾向を大幅に変更したことで注目されました。しかし、そうした見た目以上に重要なことがあります。それは、出題を通じて論述力試験とは何かをアピールしたことです。アピールの内容を以下にランダムに記します。

 ①論旨を中心に課題文を理解する
 ②課題文・筆者に対する自己の見解をもつ
 ③説明に独自の視点を盛り込む
 ④記述内容を整理して論理を組み立てる
 ⑤主体的な問題発見を論述の基本とする

 授業でも紹介したように、法科大学院の論文入試でもマニュアル型の答案が目立つそうです。小論文対策として特定の型やネタをおぼえこませて、どんな出題でも対応可能と信じ込ませるイージーな学習指導が流行しています。ある試験で出題された「安楽さへの隷属」は、ここにもみられます。イージー・安楽では対応できないことを、2006年出題を通じて感じ取ってほしいのです。
 上記のアピールを受け止めた小論文対策は、まさに問う能力の再開発といえます。そして、それは受験生だけではなく、メディア関係者を含めた大人にも必要なのかもしれません。災害報道の中で、あいかわらず「どうですか?」と間抜けな質問をする記者をみると、問う能力の欠落・蔓延は「深刻だなあ」と思うのです。
 でも、受験生の皆さんはまだまだ若いので、今からバッチリときたえれば大丈夫です。

2007.07.13

凶悪犯の弁護

 それでは、問題です。
 山口県光市母子殺害事件のことは知ってますよね。最高裁が無期懲役判決を破棄し、現在、広島高裁で差し戻し審理が行われています。この問題で世論の圧倒的多数は、被告人の死刑判決を望み、彼の弁護団にも批判的です。それがエスカレートして、「弁護士はみんな辞めてしまえ」などという極論も横行しています。
 テレビに映る被害者の姿を見て、話を聞くたびに、彼の無念さと、それでもけなげに振舞うさまにボクも心を痛めます。被告人の行為は絶対に許されません。しかし、あえて受験生の皆さんに問いかけてみましょう。
 
 ○なぜ、弁護士たちは凶悪犯の弁護をするのか?

 彼の死刑を望む世論に合わせるのでなく、あえてこうした問いかけをすることがオープンスペースを生み出すことになります。かなり難しいし、簡単には答えが出てこないと思いますが、しばらく考えてみてください。弁護団を理解不能な「エイリアン」として非難・排除するだけでは何も始まりません。自分にとってたとえ不快なものであっても、それとと向き合うタフさが必要です。それが小論文に必要な論理的思考力の「芽」となるからです。
 ちょっとだけヒントをあげましょう。死刑を望む世論は犯行の瞬間と結果をみているのに対して、弁護士たちは犯行にいたるプロセス(彼の育ち)をみようとしているのかもしれません。

オープンスペースの大切さ

 今夜のサッカー・アジア杯が気になりますが、その話ではありません。
 通常の小論文試験では課題文が与えられ、その理解に基づいて自分自身の見解を展開していきます。2003-2005年の慶大法の論述力試験の設問が、「筆者の議論を踏まえて、自由に論じなさい」と表現しているのも、この基本に沿ったものです。
 インプットを重視しすぎると、課題文の理解で「いっぱい、いっぱい」になり、その後の自由な展開に苦労します。実際に受験生の答案を読んでいると、課題文の理解は的確なのに、自己の見解の論述部分で「失速」する答案が多いことに気づきます。
 自由に論じるためのコツが、相手のオープンスペースを見つけ出す・生み出すことなのです。たとえば、筆者は現状の問題点をあげるだけで何の対策も示していません。この場合、対策がオープンスペースであり、筆者がケアしていないため自由にボールを動かす、いや自由に考えることができます。
 小論文は筆者と自分との「対話」です。相手の話をよく聴きながらも、つねにオープンスペースを探り、そこに言葉を投入することで「対話」はノってきます。安全なパス回し(無難な言い回し)だけでなく、ときには相手が嫌うところ飛び込み、「くさび」を打ち込むことも必要です。それによって、ゲーム(対話)が動き始めます。オシム監督のいう「危険なプレイ」は小論文でも必要なのです。
 なんだか、やっぱりサッカーの話(?)になってしまいましたが、賢明な受験生の皆さんはこのたとえを理解してくれると思います。サッカーも小論文も相手へのリアクションだけでなく、オープンスペースを見つけ出し、生み出し、そこで「自由」を発揮することで面白くなるのです。

2007.07.09

まもなく参議院選挙

 まもなく参議院選挙が始まります。受験生の皆さんは有権者ではない人が多いと思います。何だかやかましいだけで、あまり関心はないかもしれません。しかし、こういうときこそ新聞やテレビをしっかりチェックしましょう。
 ちなみにボクの自宅は朝日新聞をとっています。連日3面に掲載されている参議院選挙(07参院選 選択のとき)は、現代の日本社会の課題をデータとともに簡潔に解説していて、受験生の参考になると思います。また、今日の朝刊4面には、格差社会についての広井良典さんの文章や、教育改革に関する討論(福井秀夫さんVS.堀田力さん)が掲載されています。いずれも読んでおきたい記事です。
 他紙でも同様の特集記事があると思います。29日の投票日までの間、自分の家や寮でとっている新聞をチェックすることを勧めます。情報は誰かが与えてくれるのを待つのでなく、自分で探しに行くことが大切です。ただ、受験生の皆さんは何だか忙しそうなので、よくないと思いつつも、このようなアドバイスをしてしまうのです。
 ボクが新聞の活用を勧めるのは、小論文の出題テーマが同時代的だからです。課題文や資料を理解するには、いまの社会や世界に対する基礎的な知識と、何よりも関心が必要です。記事を読んでもわからないことがあると思います。でも、わからないからこそ学び、考える楽しさがあるのかもしれませんね。

2007.07.08

新HPの立ち上げ

 これまでブログやホームページをアチコチにつくって収拾がつかなくなったので、新しいホームページを開設して整理統合することにしました。近いうちにドメインをとる予定ですが、とりあえずLINKを張っておきます。携帯電話でのアクセスは難しいのでPCを利用してください。
 小論文対策だけでなく、ボクのやっていることのポータルサイトのようなつくりにしました。受験生はメニューの「大学受験の小論文」から入ってください。とりあえず既出問題のページには、授業の配布プリントに記載したパスワードで入れます。オリジナル問題集など順次アップしていくので、しばらくお待ちくださいね。
 なんで「情報料理人」なのかは、いずれ説明します。

 ○新HP「情報料理人 奥津茂樹のホームページ」 LINK

2007.07.06

天声人語は使えるか

 このあいだの「とんでもアドバイス」の続きになりますが、小論文対策として天声人語をありがたがる傾向がこの業界には根強くあるようです。天声人語を「読む」くらいならわかるのですが、これを「要約する」とか「筆写する」など活用方法も過熱しがちです。
 さすがに「筆写する」には驚きました。良い文章を何度も書き写せば、自然と文章がうまくなるという趣旨ですが、期待だけで根拠はまったくありません。筆写するなら般若心経の方が生きていく上で役に立つかも。筆写が趣味なら禁じませんが、小論文対策としては無意味だと悟ってください。
 「要約する」も疑問です。そもそも天声人語はエッセイです。エッセイとは徒然草のように思いついたことを連ねた文章で、主張を論理的に展開したものではありません。一方、要約は課題文の論旨(主張と説明の骨組み)を再現するもので、その学習素材としてエッセイは不向きなのです。
 もちろんエッセイが出題されることもあります。しかし、その場合は、要約ではなく内容に関して自由に論じさせる問題が多いはずです。志望大学・学部の出題傾向がそうであれば天声人語は使えますが、そうでないときに過度に用いるのは対策としてはムダです。
 相手を的確にとらえて、適切な対処をするのが対策の基本です。朝日新聞を使うなら天声人語でなく、オピニオン欄の「私の視点」、「異言新言」(土曜日)、「耕論」(日曜日)の方が、主要大学の出題傾向に近いと思います。
 

2007.07.04

とんでもアドバイス

 駿台では「個人論文指導」といって、授業終了後に生徒の質問に対応する時間があります。質問の内容は何でもありで、医系論文ではこの時間を利用して模擬面接やグループ討論をやることもあります(後期)。授業が一方通行になりがちなので、生徒の生の声が聞ける個人論文指導は、ボクにとってはとても大切な時間です。
 その中で、生徒が他の塾や予備校の指導方法についてたずねてくることもあります。それぞれのやり方は尊重したいのですが、ときどき「え゜っー…」と絶句し、腰を抜かすような「とんでも(ない)アドバイス」があるのも事実です。生徒がそれを信じ込んだらタイヘンなので、そんなときは、さすがに明確に否定します。
 たとえば、「答案の文字が濃くないと読んでもらえない」というヤツ。ボクも老眼が入ってきました。薄い文字は読みづらくて、メガネはずして読まなければならないので、ちょっと面倒だという気持ちは理解できます。でも、それだけで読んでもらえないということは「ない」でしょう。採点する大学の先生のグチならばわかりますが・・・
 その亜流で、「~だ」「~なのだ」などの文末は「偉そうなので、読んでもらえない」というのもあるようです。読んでもらえないというのは「門前払い」ということなので、受験生は大いにビビります。しかし、冷静に考えてみましょうね。「偉そう」かどうかの基準は何なのでしょうか?採点者の度量(?)によって左右されるような基準がそもそも成り立つのでしょうか?前述の薄い・濃いの基準も同様に主観的で、こんな採点基準の大学があったら社会的にも大きな問題になるでしょう。
 とんでもアドバイスは他にもたくさんあります。生徒から聞かされるたびに、「あんたら、しっかりしてよ」と生徒でなく同業者を叱責したくなります。え?最後の一文は文字が薄すぎ、ですか?

2007.07.03

NPOは何で食っているのか?

 今日は前期最後の授業で、テーマ解説としてNPO(非営利組織)を取り上げました。NPO登場の背景、特色と課題などを話しましたが、授業終了後にある生徒から質問を受けました。

 「NPOの人たちはどのようにして生活しているのですか?」 

 昨日の記事で取り上げた問題発見とは大それたものではなく、こうした素朴な疑問なのです。その意味で、たいへん良い質問でした。
 ボクもいくつかのNPOの理事をつとめ、実際に運営を担っています。しかし、一つを除いてまったくの無給です。その一つも有償ボランティア程度の対価で、それだけでは食っていく(生活していくこと)ことができません。だから、予備校講師をしたり、原稿を書いたり、講演をしたりして、他に収入の道を確保しているのです。ちなみに講演の謝礼も半分はNPOに寄付して、その資金確保に協力しています。もちろん、NPOで働き生計を立てている人もいますが、それは例外的で多くは低水準の報酬で何とかしのいでいるのが実情です。

 「それでは、お金に余裕のある人しかNPOができないのでは?」

との疑問ももっともです。ただ、こうした薄給のNPOスタッフがそうであるように、経済的な余裕がなくてもNPOをやっている人も少なくありません。授業で話したように、カネ本位ではなく自己本位がNPOの特色です。平和、環境、社会的弱者の支援など、自分が大切だと考える価値を重視し、その社会的実現(この点で自己中心主義とは違います)をめざすのが、ここでいう自己本位です。カネもあったらイイけれど、その有無・多寡は判断基準ではないのです。
 そんなNPOでも必要最小限の活動資金を確保しなければなりません。ボクがない頭をしぼって調査研究受託や研修・講座を企画するのも、半分は資金確保が目的です。これが半分を超えると本末転倒になってしまう(カネが目的になってしまう)ので気をつけたいところです。
 

2007.07.02

問題発見の大切さ

 アウトプットの強化に必要不可欠なのが問題発見力です。
 小論文の出題の背後には、出題者の問題意識があります。たとえば、かつて擬似現実(バーチャル・リアリティ)が慶大法で出題されたことがあります。出題者は、TVゲームやインターネットなどバーチャル空間の拡大を「楽しくていいじゃん」とは考えていません。そこには何らかの問題が潜んでいるので、受験生にそれを考えさせるのが出題意図です。ですから、受験生も擬似現実の危うさを指摘する課題文・筆者の主張を受け止め、自分自身でも問題を発見しなければなりません。
 昨年の慶大法の出題もそうでした。課題文・筆者は学生に「問う能力」がないことを指摘します。一般に論文が自問自答からなることを考えると、「問う能力」は論文の基礎力といえます。そして、相手にうまく問うためには、テーマに関する問題発見が必要不可欠です。昨年の出題では、受験生に聞き取り調査を想定させ、その概要を書くことを求めています。テーマは何でもかまいません。そこにどのような問題を発見し、それに関してどのような問いを発したかが解答・評価のポイントです。
 インプットだけを重視し型やネタさえあれば書けると誤解し、肝心の問題発見力と問う能力を欠落させた受験生…この出題には、そんな若者像が透けて見えます。

2007.07.01

インプットよりアウトプットを

 小論文の出題テーマは多岐にわたります。また、必ずしも学部の特性が反映されるわけではありません。典型的なのが昨年の慶大学経済です。テーマは「遺伝子診断」でした。「経済学部だから経済分野からの出題にちがいない」と誤解していた人はビックリしたはずです。また、かつて慶大法では「つるつるしたもの」が出題されました。これは現代社会における人間関係の希薄化を象徴した言葉ですが、法律・政治との直接的な関係はありません。これらに例示されるように、テーマは学部に関係なく何が出題されてもおかしくないと考えるべきなのです。
 どこからタマが飛んでくるかわからないのは不安です。その不安を和らげるためにネタ本のようなものがはやるのですが、複雑な社会・世界をたかが一冊の本でとらえられるはずもありません。「ムダだから読むな」とは言いませんが、あまり当てにしない方が賢明です。
 そもそも小論文はアウトプット系の教科なので、ネタ本を読み漁るというインプット系をいくら強化しても仕方ないのです。慶大SFCの小論文は課題文の分量が多いことで有名ですが、それらをいくら網羅的に正確に理解しても答案を書けるわけではありません。それよりも「国家の役割」のような与えられたテーマについて、自分の考えをどのように組み立てていくか考えることが肝心です。課題文は自分の考えを説明するための素材の一つです。活用する範囲で理解の正しさは必要ですが、他の記述までも正確に理解しなくても良いのです。
 ボクはSFC受験者に「発想転換」の必要性を強調します。それはこれまでの勉強でしみ込んだインプット信仰(情報・ネタさえあれば何でも書けるという錯覚)をやめ、アウトプットにふさわしい力を身につけていくことでもあります。それは、どうすれば身につくのか?続きは明日です。

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