« SOS論文問題集 | トップページ | 第三者評価について »

2007.01.27

いじめっ子への対応

駿台の直前講習の解説の中で、かつて「いじめ」をテーマにした出題があったことを紹介しました。それは、1997年実施の一橋大学法学部・後期の論文試験で、「いじめ」を例に道徳的非難の無効さを主張する課題文を要約した上で、自分の考えを述べるというものです。法と道徳という基本テーマを考えさせる良問なので、私が書いた解答例を掲載します。ちなみに問Ⅰが要約(400字以内)、問Ⅱが論述(800字以内)です。教育再生会議が提案した「いじめっ子の出席停止」は、まさに子どもの内面に働きかける道徳的アプローチを放棄したもので、道徳的非難・説得の無効さを主張する筆者と同じ立場です。あなたは、どう考えますか?

問Ⅰ 道徳的非難を最終的で決定的なことと考えている現状に対して、筆者はそれが無効であると断じている。筆者によれば、人が道徳的に悪いことを犯す場合、道徳は既に考慮に入れられており、その上で棄てられたのだから道徳的非難は無意味である。

また、不道徳さこそ行為の目的という場合もあるから、この点でも道徳的非難は無効である。せいぜい道徳にできることは、それが存在しない場合の不道徳さを否定することだけであると筆者は主張する。こうした考えの根底には、次のような道徳に対する強い懐疑がある。第一に必ずしも道徳的に善いことは好いことであり、悪いことは嫌なことであるわけではない点である。悪いことを好いことと考える事実があることを、筆者はいじめを例にあげている。第二に、道徳的に善いことであっても、それをしなければならないという結論には必ずしも帰結しない点である。

問Ⅱ 筆者の主張に基づくのならば、いじめをしている人を道徳的に非難しても効果的ではないということになろう。その「手づまり」を打開するために、法律的アプローチを持ち出すのも一案である。つまり道徳的な善悪を説くのではなく、いじめという行為が特定の法律に触れるものであり、場合によってはそれに基づいて裁かれることをいじめている人に伝えるのだ。法律によって逮捕されたり、損害賠償を求められたりすることを知れば、これを恐れていじめをやめる人もいるだろう。

しかし、このように法律に頼るだけで良いのだろうか。そこには問題も多いように思う。法律がすべてのいじめ行為を裁けるわけではないし、逆に裁けるようにするためには法律が日常生活のありとあらゆることを規定していかなければならない。たとえば、「悪口を言っていじめたら罰金十万円を払わなければならない」という法律を作ったとする。これでは言いたいことも言えず不自由きわまりない。そもそも何をもって「悪口」とするのか、いじめによる被害はかなり主観的なものであるため法律でどこまで規定し、裁くことができるのか疑問である。

このように考えると筆者の考えを鵜呑みにするのではなく、道徳的非難や他の方法による説得の可能性も探るべきだと私は考える。いじめている人の中にはいじめを楽しいと感じたり、悪いことだからやるという人もいるだろう。その人たち(確信犯)を道徳的に非難することは困難だが、そうでない人たちにはいじめの善悪と「なぜ、それをしなければならないのか」を考えさせるという道徳的アプローチは依然として有効ではないか。また、確信犯に対しては、彼ら・彼女らをそこに追い込んだ「強い動機」に切り込むことが必要になるだろう。いじめ行為以外に自己を表現したり、達成感を得たり、抑圧を解放したりする機会があれば、わざわざいじめと不道徳を選択する人は減るはずである。こうしたケース・バイ・ケースの説得こそ効果的だと私は考える。

« SOS論文問題集 | トップページ | 第三者評価について »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« SOS論文問題集 | トップページ | 第三者評価について »

カテゴリー

2015年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31