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2005.02.15

コラム:新しい社会の枠組み

市民活動支援は自治体をどう変えるか―市民活動支援指針の策定を通じて―(川崎市『政策情報かわさき』掲載)

 四月上旬の日曜日、私の住む宮前区宮崎台で「さくら祭り」が行われた。「さくら坂」の愛称をもつ駅前の桜並木を歩行者天国にして、さらに付近の宮崎第一公園も会場として、ステージ、ギャラリー、フリーマーケット、模擬店などでにぎわった。地元のタウン誌によれば、小さな駅前に五万人もの人出があったという。
 イベント好きの私は、この「さくら祭り」の実行委員会に昨年から参加している。私の担当はステージで、出演者との調整、プログラムの企画運営を行った。この地域に住む民放のアナウンサーが、ずっとボランティアでステージの司会をしてきた。ところが、今年は番組出演の関係で午後の都合がつかなくなったため、急きょ私がその代役をつとめることになった。

■垣間見える協働の姿
 この文章のテーマは市民活動支援なのに、なぜ「さくら祭り」のことを取り上げたのかというと、そこにはこれからの市民と行政との関係が垣間見えるからである(ちなみに、ここでいう市民とは住民・個人だけでなく、商店や企業などの法人も含んだ概念であり、以下も同様である)。
 同様の祭りは各地にあると思うが、「さくら祭り」は市民主導で企画運営されている。数年前に、駅前の桜並木を愛する人たちが、ここでお祭りをやってみたいと考えたことがことの始まりである。行政が特定の政策目的を掲げて企画立案し、市民を動員するような類のイベントではない。
 もちろん市民は企画をするだけではなく、その運営にも責任をもち主体的に担っている。決して誰かに「お任せ」にしてしまうのではなく、時間や労力そして資金までも自らが調達する。市民が主体になることで、地域で暮らし、働く人たちのリソース(資源)が提供されるようになる。リソースとは情報、場所、人材などだが、お祭りをみるだけでなくつくる側に加わることで、私自身もそれらの豊かさを実感できた。
 「さくら祭り」には市民のリソースだけでなく、行政のリソースも積極的に提供された点を忘れてはなるまい。行政からは、市民が活動する舞台となる公園や施設などの場所が提供された。また、企画への参加も得ることができ、催しはより多彩なものになった。業務として参加した職員もいただろうが、なかには仕事抜きに一市民として参加してくれた人もいたようである。
 市民が主導して企画運営するイベントを、市民と行政の双方がリソースを提供しあって成功させていく。そこに、これからの時代における市民と行政との関係(協働)をみた気がした。
 もちろん、「さくら祭り」のようなイベントと公共的な政策とは異なる点もたくさんある。また、自治体が担うべきすべての政策が、いま述べたような意味での協働(パートナーシップ)だけで成し遂げられるものではない。「木をみて森をいう」ことは避けなければならないが、もっとこうした協働の可能性を探るとともに、その領域を拡充していくために必要な環境整備を進める必要がある。

■「提言」の概要
 今年三月、川崎市市民活動支援指針策定委員会(以下、「策定委員会」)が、『川崎市市民活動支援指針策定に向けて―市民との協働のまちづくりのために―』(以下、「提言」)を川崎市長に提出した。私も策定委員会の委員の一人であり、この提言づくりにかかわった。私自身の理解によれば、いま述べた協働の拡充に必要な環境整備の基本骨格がこの提言には示されている。
 内容の詳細は提言を一読していただくこととして、ここではその趣旨と概要だけを簡潔に紹介したい。
 はじめに「支援」という用語の問題である。一般に市民活動支援という言葉からイメージするのは、行政が市民を支援するという一方的な関係である。そうした誤解・誤用を避けるために、提言は「基本的な考え方」の中で「市民社会の中で市民同士が『相互支援』していくことを原則」とし、「それを促進し、応援していく施策」として「支援」を位置づけている。
 ここうでいう市民同士の「相互支援」を促進、応援していくために、「人材、資金、活動の場、情報」などが「市民社会の中で提供されていく仕組みを構築する」ことが、支援の基本である。提言はこれらの仕組みを具体的に示すとともに、その際の市民参加やチェックを確保するための組織として、中間支援組織や第三者的な評価委員会のあり方についても言及している。
 「人材、資金、活動の場、情報」などを提供する仕組みについて、ある程度踏み込んだ内容と表現にしたのも提言の特色である。たとえば、資金確保については、市民活動団体の寄付者に対する「市税優遇(減免)を図る」こと、「サンセット方式」と事後評価による補助金・助成金の「公平・公正なルールづくりを進め」ることが明記された。また、活動の場については行政施設を「市民との共有財産」ととらえ「積極的な活用を図る」こと、市民活動団体の事務所等の「負担軽減のための支援策を講じる」ことが明記された。
 これらの市民活動支援策を実行していくにあたり、とりわけ重要になるのが中間支援組織である。先に「さくら祭り」を例にあげ、市民と行政がリソースを提供し合うと表現したが、双方をつなぎ合わせ調整をする人がいなければリソースは有効に活用できない。「さくら祭り」でも実行委員会の中心メンバーがその役割を担った。同様の役割を担うのが中間支援組織である。提言はこれを「市民主導型」が望ましいとする一方で、当面の措置として川崎ボランティアセンターの機能整備を求めることにした。中長期的には「市民主導型」の中間支援組織づくりが課題である。

■支援指針の時代的背景
 提言を受けて市は市民活動支援指針(以下、「指針」)を策定することになる。現状では実現に大きなエネルギーを必要とするものもあり、策定委員会の委員の一人として指針の内容に注目している。
また、指針策定は協働の拡充に必要な環境整備の第一歩でしかなく、その成否は指針を受けて各部局が支援策を具体化できるか否かにかかっている。指針というのは内部規範である。職員が進んでこれを遵守・実行することを期待するが、それが不十分な場合は外部規範として条例化を検討せざるを得なくなるだろう。
 各部局の職員が指針を遵守、実行する上で欠かせないことは、その時代的背景を理解することである。協働やその環境整備のための指針づくりは単なる一時の流行現象ではない。少しオーバーな言い方かもしれないが時代の必然なのである。ここでいう時代とは二つの言葉で表現できる。一つは社会のゆきづまりであり、もう一つは社会の成熟である。
 ゆきづまりとは市場と政府の失敗と言い換えることができよう。市場は利潤を第一義とするから、そこで公益実現をはかるには限界がある。その限界を克服すべく政府(国・自治体)は福祉国家(公的福祉)のみちを突き進んだが、財政破綻の現状では関与する範囲を見直さざるを得ない。失敗というのは、そのように市場や政府の限界がみえてきたことを指す。もちろん限界を越えた先にも公共的な仕事はある。その担い手として注目されてきたのがNPOやボランティアである。
 一方、成熟とは少なくとも物質的には十分に豊かになったことを指す。豊かな社会の実現は人々の生き方や働き方を多様にする。たとえば、消費や名誉など個人的な欲求の充足だけでなく他者との関係性を通じた充足を求める人や、金銭では代替できない価値を優先した人生とそれにふさわしい労働を選ぶ人が少しずつだが出てきた。異なる価値観の人からはとても理解できないだろうが、この人たちにはとってみれば労働対価ではなく、生きがいとか働きがいという精神的充足の有無や多寡の方が重要になる。そうした中で、市民活動を通じたて精神的充足を求める人が徐々にだが増えてきている。
 社会のゆきづまりと成熟は、市民活動という新たな可能性を生み出した。その可能性を育む苗床ととなるのが、各部局で展開されるであろう市民活動支援策である。

■今後の課題と可能性
 市民活動をもっともっと元気にすることで、地域社会の課題を一つずつ解決していくことが、自治体を変えることにつながると私は信じている。もちろん、それは、すべての課題を市民活動が担うことを意味するのではない。これからも市場や政府がやるべき仕事はたくさんあるだろうから、正確にいうならば、それらと市民活動との役割分担を進め、市民活動の領域を増やしていくことが「元気にする」の意味である。
 しかし、そのような方向での変革を考え、実行することが容易でないことも事実である。最大の課題が市民と行政の意識改革だ。
 私自身も含めて市民の中には、依然として「お任せ」意識が根強い。何か問題があると役所に持ち込み、その力での改善を求める。また、その問題が自らの利害に関係ないと、無関心と不参加を決め込んでしまう。とりわけ現代の消費社会は、お客様をわずらわせることとなく目的の実現をはかろうとするから、自ら考え行動する機会が奪われ、その結果、自己決定の能力が身につかない。
 一方、行政には「縄張り意識」が根強く、それが市民活動の妨げになることかある。前述した「さくら祭り」のときにも、駅前の施設が開放されたにもかかわらず、いたるところに「使用禁止」の張り紙がされていた。そのため水やトイレが使えず、多くの人が難儀した。そこにみえるは「使用させて何かあったら困る」という意味での「責任」意識と住民への不信感であった。こうした「縄張り意識」はかなり一般化していて、施設の利用だけでなく市民に公共的な仕事を委託するときにも心理的な壁となっている。
 市民による過度の依存と行政による過度の「保護」という意識を改革していくことは容易でないとも思えるが、私は楽観している。私が長年かかわってきた情報公開などは典型的だが、ある「きっかけ」を与えることで意識改革が劇的に進むこともある。そんな「きっかけ」となるようなモデルを示し、それを社会の中に広げていけばよい。
 川崎市にもモデルとなりえるものは決して少なくない。たとえば、「わくわくプラ-ザ」がそうである。これは希望する小学生全員が利用できる新しい形の子どもの居場所である。市民主導の事業ではないが、市民活動を元気にするという視点からみると大きな可能性を秘めている。
このモデル事業を実施するある小学校では、保護者が子どもを預けるだけでなく、ボランティアとしてその運営に参加しているという。父親がいないのが残念だが、十数名の母親が子どもたちとの遊びを通じて運営にかかわり、子育て・子育ち支援という公共的な政策の一端を担っている。彼女たちの姿は、これから川崎市が拡充すべき協働の典型的なモデルといえよう。
このように市民の力を引き出すチャンネルを地域社会の中に無数にちりばめていくことで、市民も行政も、つまり自治体が変わっていくのである。
(2001/4執筆)

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