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2004.12.18

コラム:監視を求める社会

 先日、ある人から社会福祉協議会(社協)関係者の悩みを聞いた。いま社協にボランティアを志願する人が多いが、どういう人かわからないため困ることがあるというのだ。以前、渋谷区で児童館のボランティアが性犯罪を犯したという事件があった。ボランティアの「身元」を知りたいという社協関係者の悩みはわからなくはない。しかし、そこから短絡的に社協がボランティアの「身元」を調べ始めたら、おかしなことになる。何らかの「つて」を頼って、警察の犯歴記録や市区町村の前科記録(選挙事務で必要)を入手したりしたら大問題だ。社協に提供した側は守秘義務違反や個人情報保護条例違反(外部提供の原則禁止)を問われるし、社協にも個人情報保護の義務があるから違法・不当な収集は御法度である。
 このエピソードには、いま広がりつつある監視社会の主要な要因が含まれている。第一に、人間関係の希薄化がすすみ他人をなかなか信じられなくなったことである。第二に、犯罪のような恐ろしいことがメディアを通じて強調されることで不信感が強化されることである。そして、第三に、不信感を解消するために、安易に、個人情報を通じた管理に自ら身を委ねていくことである。
 街頭における監視カメラも典型的な例である。長崎市で起きた少年による幼児殺人事件で、彼と被害者の姿を監視カメラがとらえていたことで、その有効性がにわかに注目されるようになった。コンビニ、銀行、エレベーター、ひるがえってみると、監視カメラは私たちの生活環境のいたるところにある。カメラを通じて個人を捕捉することは犯罪捜査に役立ち、何よりも犯罪の未然防止につながると警察が音頭をとって導入を促進している。そして、長崎の事件のように、たまに監視カメラの映像がきっかけで容疑者が逮捕され、メディアによって大きく取り上げられると、誰もが監視カメラを積極的に受容する。しかし、長崎の事件は、犯行現場でカメラの存在に気づいた少年が動転した結果だと家庭裁判所は指摘している。監視カメラが殺害の引き金を引いたという真実は、カメラの有効性を強調するおびただしい数の報道にかき消されてしまっている。私たち一人ひとりがよく読み・聴き・考えないと、情報によって簡単に操作されてしまう。
 監視カメラが捜査や犯罪抑止に一定の効果があることは私も否定しない。しかし、それだけで犯罪をなくせると考えるのは安易である。コンビに強盗はあちこちであるが、それは監視カメラがないからではない。カメラがあっても、犯罪は起きている。監視カメラの「効果」は、市民のプライバシー侵害と引き換えにしてまでも認められるような大きいものではない。利益と負担を冷静にとらえ、考えなければならないのに、深く考えなくなった人たちが増えたのか、監視カメラに対する市民の問題意識は驚くほど低い。
 深く考えるとは問題の根源を探ることである。冒頭の社協のエピソードに戻すと、地域社会における人間関係の希薄化が根源にあるのだから、「身元」調査などより他にやるべきことがあるはずだ。ボランティアに限らず人間は関係性を通じて成長していくが、そうした機会を何も用意せず、はじめから良質なボランティアを求める発想自体がおかしい。諸外国では軽度の犯罪者に対する処分に「社会奉仕命令」がある。ボランティアという関係性が不可避な仕事を通じた社会復帰の方法だ。「身元」によって人間を切り捨てていくのではなく、一人ひとり可変性に期待することで犯罪をはじめとしたトラブルの防止をはかることの方が人間的だと私は思う。
 人間同士のつながりをもっと深めることが、監視社会への対案なのである。
(2004/2/26執筆)

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