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2004.12.18

コラム:青少年の深夜外出

 青少年の深夜外出について保護者を処罰するのは超ナンセンスである。
 それだけで青少年の問題行動がなくなるわけではなく、原因と対策とが対応していないからだ。さらに、保護者を処罰するには「子どもの深夜外出時に何をしていたのか」を含めて、警察の捜査が日常生活というプライバシーに踏み込まざるを得ない。人権を制約してまで、やるべき仕事なのか大いに疑問である。知事が増員をマニフェストにあげるほど警察官が少ないならば、人的資源の有効活用というコスト面からも割に合わない。
 そもそも『自由論』を著したJ.S.ミルが説くように個人には「愚行権」が認められている。他者に危害を与えない限りは、深夜外出の放置という保護者の愚行(?)を法律・条例で制約することはできない。愚行と考える人は処罰提案に快哉をあげるのでなく、まずは身のまわりで愚行を繰り返す保護者に、やめるよう声をかけたらどうか。個人が関係性を深める努力をしないまま、処罰という権力で社会的に淘汰しようという「気分」が蔓延しているところに危うさを感じる。
 しかし、こうした一ぺんのコメントだけで簡単に片づけてはいけない。処罰提案を「超ナンセンス」と断じたところで、「保護者の問題」は何も解消していないからである。
 深夜外出の放置には、子どもへの虐待の一つ「ネグレクト」と同質・一連のものがあるだろう。家庭という社会環境が子どもの人格形成に与える影響は大きく、保護者の暴力はもちろん、非常識で自己中心的なあり方が子どもの問題行動の根にある場合も少なくない。それらすべてを「愚行権」として誰も何も関与しないわけにはいくまい。子どもの人権保障の観点から、処罰は論外だが、「保護者の問題」に社会が積極的に関与することが必要な場合もある。ややもすれば声をひそめて語られてきた「保護者の問題」を、開かれた場でもっともっと議論した方が良い。
(2004/1/6執筆)

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