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2004.12.26

コラム:NPO支援と税

NPO支援のため税はどうあるべきか ~最近の動きと課題~

 NPOなどの市民活動を資金面で支援するために、税はどうあるべきなのでしょうか。
これに関して、長野県が検討中の「県税使途指定制度」や千葉県市川市が今年12月に条例化予定の「市民活動支援制度」が注目されています。いずれも住民税(県民税・市民税)の1%を、納税者が指定するNPOに助成することを基本とするものです。
 現在、私たち市民は税を支払うだけで、使途についての決定権を保障されていません。たとえ1%とはいえ税の使途を指定できる制度は画期的です。また、制度の実施にあたり、助成の対象となるNPOの活動が広く納税者に紹介されることになります。活動の理念や内容に対する社会的な理解、関心、参加が広がることも期待できます。
 大きな前進ですが、課題も少なくありません。「県税使途指定制度」について長野県内3ヵ所で開催された懇話会でも、「指定対象団体の範囲はNPOに限定すべきか」「指定金額の割合は1%で十分か」などについて数多くの意見が出されました。具体的には、長野県の個人県民税平均額の1%は318円なので、1%の割合を上げたり、または定額にすべきだとの意見も出たようです。ちなみに2003年度のWE21ジャパンの県民税は661,000円、市民税は1,580,389円ですが、法人として税の使途を自由に決められる額は1%ならば計22,413円にとどまります。
 かつて川崎市が市民活動支援指針に市税減免を盛り込んだ際に、策定委員の一人として私も関わりました。そこでも、自治体による支援税制は資金確保よりも社会的認知に意義があるとした記憶があります。住民税を利用した指定寄付制度は必要であり、支援税制に消極的な国への問題提起にはなるでしょう。しかし、NPOが本気で活動資金を確保したいならば「みなし寄付※」などやはり国税のあり方を変えなければなりません。
 わずかな金額でも寄せ集めることは、結果だけでなく過程を含めて市民活動に有用です。たかが318円でも1万人で318万円になります。しかし、それ以上の額の補助金・助成金のムダ使いに何のメスも入れないで、「貧者の一灯」だけに頼るのもおかしな話です。
 また、まだまだ地価が高い大都市部のNPOは拠点確保に大きな負担を強いられています。公の施設を民間団体が管理する指定管理者制度を活用して、NPOの拠点確保を容易にすることも必要です。
税の払い方だけでなく、使い方を改めていくことも、市民活動の支援につながるのです。
(2004/8/11執筆)

2004.12.18

コラム:監視を求める社会

 先日、ある人から社会福祉協議会(社協)関係者の悩みを聞いた。いま社協にボランティアを志願する人が多いが、どういう人かわからないため困ることがあるというのだ。以前、渋谷区で児童館のボランティアが性犯罪を犯したという事件があった。ボランティアの「身元」を知りたいという社協関係者の悩みはわからなくはない。しかし、そこから短絡的に社協がボランティアの「身元」を調べ始めたら、おかしなことになる。何らかの「つて」を頼って、警察の犯歴記録や市区町村の前科記録(選挙事務で必要)を入手したりしたら大問題だ。社協に提供した側は守秘義務違反や個人情報保護条例違反(外部提供の原則禁止)を問われるし、社協にも個人情報保護の義務があるから違法・不当な収集は御法度である。
 このエピソードには、いま広がりつつある監視社会の主要な要因が含まれている。第一に、人間関係の希薄化がすすみ他人をなかなか信じられなくなったことである。第二に、犯罪のような恐ろしいことがメディアを通じて強調されることで不信感が強化されることである。そして、第三に、不信感を解消するために、安易に、個人情報を通じた管理に自ら身を委ねていくことである。
 街頭における監視カメラも典型的な例である。長崎市で起きた少年による幼児殺人事件で、彼と被害者の姿を監視カメラがとらえていたことで、その有効性がにわかに注目されるようになった。コンビニ、銀行、エレベーター、ひるがえってみると、監視カメラは私たちの生活環境のいたるところにある。カメラを通じて個人を捕捉することは犯罪捜査に役立ち、何よりも犯罪の未然防止につながると警察が音頭をとって導入を促進している。そして、長崎の事件のように、たまに監視カメラの映像がきっかけで容疑者が逮捕され、メディアによって大きく取り上げられると、誰もが監視カメラを積極的に受容する。しかし、長崎の事件は、犯行現場でカメラの存在に気づいた少年が動転した結果だと家庭裁判所は指摘している。監視カメラが殺害の引き金を引いたという真実は、カメラの有効性を強調するおびただしい数の報道にかき消されてしまっている。私たち一人ひとりがよく読み・聴き・考えないと、情報によって簡単に操作されてしまう。
 監視カメラが捜査や犯罪抑止に一定の効果があることは私も否定しない。しかし、それだけで犯罪をなくせると考えるのは安易である。コンビに強盗はあちこちであるが、それは監視カメラがないからではない。カメラがあっても、犯罪は起きている。監視カメラの「効果」は、市民のプライバシー侵害と引き換えにしてまでも認められるような大きいものではない。利益と負担を冷静にとらえ、考えなければならないのに、深く考えなくなった人たちが増えたのか、監視カメラに対する市民の問題意識は驚くほど低い。
 深く考えるとは問題の根源を探ることである。冒頭の社協のエピソードに戻すと、地域社会における人間関係の希薄化が根源にあるのだから、「身元」調査などより他にやるべきことがあるはずだ。ボランティアに限らず人間は関係性を通じて成長していくが、そうした機会を何も用意せず、はじめから良質なボランティアを求める発想自体がおかしい。諸外国では軽度の犯罪者に対する処分に「社会奉仕命令」がある。ボランティアという関係性が不可避な仕事を通じた社会復帰の方法だ。「身元」によって人間を切り捨てていくのではなく、一人ひとり可変性に期待することで犯罪をはじめとしたトラブルの防止をはかることの方が人間的だと私は思う。
 人間同士のつながりをもっと深めることが、監視社会への対案なのである。
(2004/2/26執筆)

コラム:青少年の深夜外出

 青少年の深夜外出について保護者を処罰するのは超ナンセンスである。
 それだけで青少年の問題行動がなくなるわけではなく、原因と対策とが対応していないからだ。さらに、保護者を処罰するには「子どもの深夜外出時に何をしていたのか」を含めて、警察の捜査が日常生活というプライバシーに踏み込まざるを得ない。人権を制約してまで、やるべき仕事なのか大いに疑問である。知事が増員をマニフェストにあげるほど警察官が少ないならば、人的資源の有効活用というコスト面からも割に合わない。
 そもそも『自由論』を著したJ.S.ミルが説くように個人には「愚行権」が認められている。他者に危害を与えない限りは、深夜外出の放置という保護者の愚行(?)を法律・条例で制約することはできない。愚行と考える人は処罰提案に快哉をあげるのでなく、まずは身のまわりで愚行を繰り返す保護者に、やめるよう声をかけたらどうか。個人が関係性を深める努力をしないまま、処罰という権力で社会的に淘汰しようという「気分」が蔓延しているところに危うさを感じる。
 しかし、こうした一ぺんのコメントだけで簡単に片づけてはいけない。処罰提案を「超ナンセンス」と断じたところで、「保護者の問題」は何も解消していないからである。
 深夜外出の放置には、子どもへの虐待の一つ「ネグレクト」と同質・一連のものがあるだろう。家庭という社会環境が子どもの人格形成に与える影響は大きく、保護者の暴力はもちろん、非常識で自己中心的なあり方が子どもの問題行動の根にある場合も少なくない。それらすべてを「愚行権」として誰も何も関与しないわけにはいくまい。子どもの人権保障の観点から、処罰は論外だが、「保護者の問題」に社会が積極的に関与することが必要な場合もある。ややもすれば声をひそめて語られてきた「保護者の問題」を、開かれた場でもっともっと議論した方が良い。
(2004/1/6執筆)

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